2007.4.3_宮田 禎子――ワンポイントレポート「なぜ女岳は男岳より高いか」


■2007.4.3_宮田 禎子――ワンポイントレポート「なぜ女岳は男岳より高いか」
●伊藤幸司様
●お元気でご活躍のことと存じます。
●先日、朝越山と弟富士に行ってきました。そのときのことを纏めてみました。といいましてもまとまっているかどうかは判然としませんが添付してみました。
●宜しくお願いいたします。

 3月31日、朝日旅行の「展望の山旅」に参加してみた。行き先は朝越山と弟富士山である。ランクは「C」でもっとも軽い山歩きである。実際今迄行った中で最も楽な山登りであった。
 バスで行った秩父さくら湖がすでに標高400mあり朝越山の頂上は606mで道はきれいに整備された階段で急登といってもゆっくり登れば楽なものだった。直ぐに山頂についてしまい春なのに遠方の山々まで見晴らせて景色は堪能した。下り道もこれまたきれいに整備された階段だった。全体的にゆっくりしたペースだったので、私は、チャンスとばかりに、かねてから伊藤コーチに御指導を受けていた登りの体重移動や下りの片足でのバランスのとりかたなどを思い出し遊びながら歩いた。
 一旦下に下りてから弟富士に登った。386mのかわいらしい山であったが道筋には1合目から順次合数の書かれた杭があり、かわいい富士山の体をみせていた。カタクリの花も満開ですばらしかった。
 ところがである、なにも無い平らな道で転んでしまった。理由は今でも分からない。しかも顔面制動で眼鏡は壊れるし、膝は擦りむくし惨めだった。最大のショックは軽い18リットルのデイバックを背負い両手は空いていたのに手が先に出なかったことである。帰ってつれあいに顔と膝の擦りむけたところを見せたら一言「歳をとったね」だった。私も深くうなづいてしまった。
 うす曇りだったが何故か、上空では風が強かったのか朝から夕方まで山々はよく見えていた。講師の藤本一美氏は、バスの中、歩いている途中、勿論山頂でも実に詳しくいろいろ説明してくださっていた。しかし、問題は私の方にあって、聞いたそばから忘れてしまう。困ったものである。思い出せる山はほんのわずか2〜3に過ぎない。カニの爪のような形の双子山と、まあるい山容の双子山とバスの中では常に眼前に聳えていた武甲山と乳首山とあとは行って来た山くらいなものである。
 帰りのバスの中で、暗くなり山も見えなくなってからも藤本氏はいろいろな話をされていたが、その中で双子山のことにふれ「日本全国に双子山と呼ばれる山は沢山あるが、何故かその90%以上は男岳より女岳の方が高い。古来女性蔑視が続き、女人禁制の山も多いなかで何ゆえに双子山の場合は女岳が高いのかいろいろ考えたが分からない。従って皆様も考えておいてください。宿題です」と言われた。
 山の専門家に分からないことが私に分かる訳無いと思った。それに昔から宿題は忘れるもの、やらないものと決めていた私である。しかし、面白そうなのでポツリぽつりと思いをめぐらせてみることにした。思っただけで提出する気は毛頭ないが。
 「元始、女性は太陽であった」とは、かの有名な平塚らいてふ氏の言葉である。
 天照大神は女性である。昔々、大和朝廷が自らの正当性を示すために出自を明らかにする目的で作られた「古事記」「日本書紀」などを見ると盛り沢山の神話が出てきて面白いが、最終的に祖神とされたのは天照大神である。
 面白いのは、天照大神が祀られている伊勢神宮である。ここには内宮と外宮がありそれぞれ神明造りという同じ形の社殿がたてられている。そして、内宮には女神である天照大神が祀られ。もう一方の外宮で千木が外削になっている方は豊受大神という男神が祀られている。同じ様に祀られてはいるが、男神の豊受大神は、天照大神の単なる食事の世話係りであった。食事係が悪いと言うのではないが、神様のランクとしては低いように思う。
 その他、農耕民族であった我々の祖先は様々な神をあがめてきたらしい。地水火風空はいうに及ばず海川雨雷等々様々な神に祈ってきた。その中でも特別な存在が山であったようだ。「山の神」という言葉は我々の身近にあり親しい言葉である。山の神はいろいろな神様と共同してあらゆる豊穣をもたらしてくれる。まあいろんな意味があるにせよ奥様のことも山の神というし。
 話しは変わるが、チベットのほうに行きカイラースやアムネマチン、その他の高い山々に対する人々の信仰心を目の当たりにするのは感動的である。今日、登山家たちによってそれらの山にも登らせろという運動が盛んになり、カイラースに人が踏み込むのも時間の問題のように見受けられる。その山を信仰の対象としている人々の心情を思いやると胸が痛む。
 閑話休題。ことほどさように、おおらかな神代の時代には女性蔑視とか女人禁制とかいう考え方は見かけないと思う。浅間信仰をはじめ女人禁制の山が出てきたのは何時なのかそれが分かれば話は簡単なのではないか。大昔から山が女人禁制であった筈はない。高野山にしろ比叡山にしろ、つい最近楽しくスノーハイクをしてきた蔵王にしろその他の山々でもはっきり女人禁制が言われ始めたのは、仏教が日本に入り、山できびしい修験などが行われるようになってからではないかと思う。
 一般的な女性の特性として山を駆け巡ったり、出会った獣と戦ったりするのは大変である。一方修業中の男性にとっては女性が側にいてはいろいろ気が散って集中出来なかったのではないか。修業どころか煩悩に悩まされて神も仏も遠ざかってしまうと己の意志薄弱を女性のせいにしてしまったのではないかと意地悪く考えたりする。結構単純な理由で山から女性を遠ざけて男性だけの特別な世界を造りたかったのではないだろうか。
 男には男にしか分からない世界があるとか、男だけで居ると落ち着くとかいうことは洋の東西を問わず見聞する。仏教伝来と共に仏様も天界から山に移住されたり、いろいろややこしい事がおきてきて
ますます山は神聖な場所と位置づけられていったようだ。
 山々の呼称がいつごろつけられていったかにもよると思うが、多くは権力者などによってつけられたとは思えない。仏教伝来とともに名前のつけられた山もあるだろうが、多くは、昔からその山の見えるところにいた人々が呼び慣わしていき出来てきたものと推測される。その他、天照大神と弟のスサノウノミコトと一緒になって作った5男3女は「八王子」という地名として各地に残っているが、山も似たような経緯で名づけられたものも多いはずである。
 そこで、私が勝手に推測するに、女性蔑視や女人禁制と山の名前は切り離して考えてもいいような気がする。
山の神をあがめた人々は、大きく豊穣を約束してくれそうなものに女性を感じ自然発生的に高く豊な感じのする方を女岳としたのではないかと思う。
 思いめぐらせてみたけれど、結局はなんということも無い単純な結論になってしまった。皆様はどうお考えになりますか?

●参考文献
『口語訳 古事記』――訳・注釈 三浦佑之  文芸春秋社
『大雑学11 日本の神々のナゾ』――瓜生中 著  毎日新聞社


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