山旅図鑑…し
白馬三山(2023.8.21-24)
フォトエッセイ・伊藤 幸司

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★糸の会 no.1277
2023.8.21-24(月〜木)
白馬三山



白馬岳、白馬三山
1日目【撮影】12時36分=伊藤 幸司=0059
結果として「1日目」としていますが、計画書の段階では「前泊」の日。皆さんには勝手に宿を取っていただくことにしました。ですからどこに泊まってもいいとして、(今回は娘にちょっと軽い手伝いを頼んだので)この機会に松本民芸の宿「まるも旅館」がとれたら松本に戻って、あす朝また白馬に戻ってくることもいとわなかったのですが、泊まれませんでした。だから白馬にある正体不明の素泊まりの宿にしてみたのです。
そしてこの日は(希望者には)「腹ごなし」の八方尾根。往復3,300円の八方尾根アルペンラインで標高約1,830mの八方池山荘まで上がってしまい、標高約2,060mの八方池への往復、というだけのつもり。標高差たったの200mプラス、しかも観光客のためのハイキングルートなので、当然、私は計画書には「八方池往復して、下山。各自宿泊先へ」と書いただけでした。その出発点、八方池山荘がようやく近づいてきたところです。その先に見える尾根(八方尾根)をたどるのです。

白馬岳、白馬三山
1日目【撮影】13時01分=伊藤 幸司=0073
早速登場したのはハクサンシャジン。私の印象では八方尾根の顔というべき存在です。それが早々と登場してくれて、よかった! けれどかなりお疲れ、ですよね。

白馬岳、白馬三山
1日目【撮影】13時07分=伊藤 幸司=0093
これはこの時期ちょうど見頃だと感じたウメバチソウ。ウィキペディアには北海道から九州に分布して、山地帯から亜高山帯下部の「日当たりの良い湿った草地」に生えるとあります。まろやかな尾根道を歩きながら、まさしく湿り気のある場所でしたね、ここは。もちろん撮ったときにはそんなことなど考えもせず、アリさんの姿があったのでシャッターを切っただけ、でしたけれど。

白馬岳、白馬三山
1日目【撮影】13時14分=伊藤 幸司=0106
あとで分かると思いますが、トイレのあるほぼ中間地点(標高約2,000m)まで、道は2本あるのです。私たちは習性として、登りなら上の道(あるいは男坂)を選びます。理由はない、のですが、とりあえず頂上とか稜線とか、地形的に理解しやすい「線」や「点」をたどっておきたいと考えます。

白馬岳、白馬三山
1日目【撮影】13時35分=伊藤 幸司=0128
ほぼ中間地点というところに突然、ポツンと一軒屋ふうに現れたのがトイレでした。なんだか大げさに見えますが、ここには「冬」もあることをお忘れなく(ただし使えるかな?)。穏やかに登っていく尾根の先に大きなケルンが見えました。

白馬岳、白馬三山
1日目【撮影】13時38分=伊藤 幸司=0132
これはタムラソウみたいですね。以前はこの「棘のないアザミ」を見つけるたびにチェックしていたので記憶にも残ったのですが、最近は花を楽しもうという意欲があまりないみたいで「花があった」という印象だけ。これも帰ってから八方尾根の花のガイドを見て「タムラソウもあったんだ!」という感じ。(歳のせいだと思うのですけれど)固有名詞が出てこないし、記憶もできないので、写真に撮っちゃうしか方法がないのですけれど。

白馬岳、白馬三山
1日目【撮影】13時38分=伊藤 幸司=0134
この花もよ〜く知っている花ですけれど、名前はず〜っと出てきませんでした。道筋に花の名札があったので、そこで決着がつきましたけれど、正式にはミヤマコゴメグサと「ミヤマ」がつくみたいですね。

白馬岳、白馬三山
1日目【撮影】13時39分=伊藤 幸司=0137
下りには板張りのこの道を歩くつもりですが、それは約1時間後のことです。八方池は前方に見える標高2,086mの山の右斜面下にあるのです。その下り口あたりに八方ケルンが小さく見えています。

白馬岳、白馬三山
1日目【撮影】13時53分=伊藤 幸司=0145
トイレのところから15分弱、小さく見えていた「八方ケルン」を通過しました。観光客の人がこれを「ケルン」だと思ったら危険なので、正確には「巨大ケルン」としておくべきかもしれませんが、ガス(山霧)に巻かれると、これだって見えなくなります。冬に雪が道筋を消したとしても、尾根通しに歩いてくればいいだけのことなので大げさに感じますが、ここは冬でも天候さえよければ多くの人が歩けるルートですから、安全係数を高めるためにめいっぱい大きな「巨大ケルン」を連ねたのだと思います。

白馬岳、白馬三山
1日目【撮影】14時07分=伊藤 幸司=0171
八方池へと下っていきます。山肌にたまたまできたこの小さな水たまりが有名なのは、いまそこに見えている鏡のような水面ですよね。雪の吹き溜まりが植物の進出を許さないで「最大水深4.4m」(白馬村データ)という池をひそかに作り上げたというわけです。モリアオガエルやクロサンショウウオが棲んでいるということですから立派な、というか永続的な池なんですね。以前、私はその姿をチラリと見ましたが、尾瀬のようにイモリ(アカハライモリ)とサンショウウオ(クロサンショウウオ)が共存しているとなると安易に判断できないままでしたが。
ちなみにこの八方尾根はほとんどのみなさんには馴染みのルートで、行き着く先は唐松岳(標高=2,696m)、この先にダケカンバのみごとな樹林があり、その先にこれまたみごとなお花畑があるのです。じつは今回、花が意外に少なかったので、このままここで引き返していいのだろうか、などと、時計をみながら考えつつ、私は八方池に到着したという感じでした。

白馬岳、白馬三山
1日目【撮影】14時09分=伊藤 幸司=0179
かなり立派なヤマホタルブクロですね。このあたりにはこの色と、シロバナとがあるようです。

白馬岳、白馬三山
1日目【撮影】14時09分=伊藤 幸司=0183
これはノコンギクのようですね。白馬観光開発の「花図鑑」にはなかったので、グーグル・レンズで確認しました。ただのノコンギクでいいみたいです。以前売店で買った『白馬八方尾根花の旅』にはありました。

白馬岳、白馬三山
1日目【撮影】14時15分=伊藤 幸司=0192
向こう岸から左手の道をたどってきて、一番奥にあったベンチで休憩。上の稜線に上がるには右に出るのですが、右手の湖岸に見える行き止まりの道は、この池を有名にしている湖面展望をかなえてくれます。稜線に見えるとんがり帽子は第3ケルン。

白馬岳、白馬三山
1日目【撮影】14時28分=伊藤 幸司=0205
稜線に上がりました。10分ほど前に座っていたベンチが池の左岸に見えています。湖面はみごとに鏡面なのですが、写っているのは雲だけですね。正面に、今回縦走する鑓ヶ岳〜杓子岳〜白馬岳〜小蓮華岳〜白馬乗鞍岳と全部見えるはずなのに、それがかないません。残念!

白馬岳、白馬三山
1日目【撮影】14時30分=伊藤 幸司=0213
稜線の道を引き返します。左手斜面に先ほど八方池へと下った道が見えています。「花の八方尾根」というには淋しかったなと思いますが、腹ごなしとしては、これでいいか、と。八方池山荘を出て約1時間半というところです。

白馬岳、白馬三山
1日目【撮影】14時31分=伊藤 幸司=0220
秋の花の主役、マツムシソウが出てきました。ガイドブック『白馬八方尾根花の旅』によればタカネマツムシソウで「生育地・八方池周辺」。もうすこし存在感のあるものも出てきてほしいと感じましたが。

白馬岳、白馬三山
1日目【撮影】14時42分=伊藤 幸司=1225
もと来た道を下ります。山では「登り」と「下り」とではまったく別の道のように感じることが多いですね。だから道に迷う心配のある道では、ときどき振り返って見ておく、というようなことも必要になります。
登りと下りとでは足運びも違ってきますし、歩く気分もまったくちがうので、マイカー登山が一般的な地方での「往復登山」が想像するほど単調ではないことはわかります。でも下山後の交通事情がいい首都圏の山ではできるだけ「同じ道を戻らない」という原則で考えます。それでわざわざやっかいな下りを組み込んで後悔したりするのです、けれど。さて、これから、上下2本の道の下の方をたどるのです。

白馬岳、白馬三山
1日目【撮影】14時47分=伊藤 幸司=0237
ほぼ中間地点のトイレまで下ってきました。トイレ脇の道を登ってきましたが、ここからは右側の板張りの道を下ります。

白馬岳、白馬三山
1日目【撮影】14時49分=伊藤 幸司=0241
極端な言い方ですが、登りで歩いた稜線の道が「登山道」なら、この道は「ハイキングルート」です。つまり「不整地」が基本の登山道に対して「だれもが歩きやすい歩道」がハイキングの理想なんですね。私たちは雨の日にこの道を歩くのは「危険でいや」ですが、温かい目で見てみれば、濡れても滑らないように努力して作られた「道路」ではあるのです。

白馬岳、白馬三山
1日目【撮影】14時50分=伊藤 幸司=0242
うわっ! 鮮やかな色のウツボグサ、八方図鑑によればタテヤマウツボグサだそうですが、群を抜いてきれいな色ですね。これが見れてラッキー、というほどの存在でした。

白馬岳、白馬三山
1日目【撮影】14時51分=伊藤 幸司=0245
この道筋では、ちょうど見頃のウメバチソウが次々に現れました。尾根のてっぺんより、山腹をたどるこの道筋のほうが生きる環境としていいのかもしれません。

白馬岳、白馬三山
1日目【撮影】14時53分=伊藤 幸司=0247
これは、とうとう最後まで名前が出てこないでイライラしましたが、私が好きなイワショウブです。以前、白馬岳から朝日岳を経て蓮華温泉に下ったとき、湿原の主役のように感じたのが(たぶん)最初の出会いでした。

白馬岳、白馬三山
1日目【撮影】14時55分=伊藤 幸司=0253
これは、じつは稜線の道にもけっこうありましたが、なかなか撮りにくかったネバリノギランです。首都圏の山でもけっこう見られるかと思います。茎のあたりがネバネバするんでしたっけね。

白馬岳、白馬三山
1日目【撮影】14時56分=伊藤 幸司=0259
ノアザミ、なんですね。タムラソウとノアザミが両方「八方図鑑」(白馬観光開発)にあるのですが、「写真0132」がタムラソウで、これがノアザミだという確信が私にあるわけではありません。棘のあるなしをきちんとチェックして、メモしておくぐらいの努力は、フィールドワークとしては最低条件だと思ってはいますが、シャッターを切るだけで、あとはみなさんの尻尾に追いつくだけで一苦労なんです。言い訳になりますが。
アザミの仲間はたくさんある、という印象なのであまり手を出したくないと思っているのですが、これは「アザミ」だとして、さっそくウィキペディアで調べてみるとこんな記述がありました。「アザミの仲間は多くの種類があり、分類は困難だと言われている。日本で見かけるアザミの仲間は約100種類ほどあるが、春先に開花するアザミは、ほとんどが本種(ノアザミ)である。」
エエッ? 春咲き? というのでさらに細かく読んでいくと「花期は初夏から夏(5-8月)で、アザミ属の中では春咲きの特徴を持つが、まれに10月まで咲いているものも見られる。」とあるので、ノアザミでいいのでしょう。
ちなみに、この写真をグーグルレンズで調べたら、最初に「マルハナバチ」と出てきました。ミツバチとの近隣種で農家の受粉にも広く使われ、ウィキペディアによると日本には15種のマルハナバチが生息していて「本州では、中部山岳地帯で多くの種が見られる。」とのこと。体に対して羽が小さいという不思議な特徴があるということです。

白馬岳、白馬三山
1日目【撮影】14時58分=伊藤 幸司=0265
オオバギボウシもありました。八方図鑑にそうあるので間違いないのですが、念のために「コバギボウシ」なんていうのもあるのかなと調べてみると、あるんですね、花弁に紫色の線が加わって、雰囲気がかなり違う。本州から九州までの日当たりのよい湿地に生えるそうですが、見た記憶はありません。「松江の花図鑑」で見ると、ユリのようなきれいな花です。

白馬岳、白馬三山
1日目【撮影】14時59分=伊藤 幸司=0268
私は年間を通して小さな軽アイゼンを持ち歩いています。登山道で一番危険なのは濡れた木の橋だからです。そこで足を滑らせると、けっこう致命的な怪我につながります。だから濡れた木(や板)がいかに危険かという注意を橋の手前で一席ぶって、体制を整えたりもします。みなさんダブルストックなので重心の位置が安定していてほとんど軽アイゼンの出動はありませんが、参加者によってはアイゼンをつけてもらわないとこちらが怖い、と考えているからです。
この木道は滑り止めをよく考えていて丁寧に歩けば濡れていても大きな危険を感じませんが、でもそうとう緊張しますね。ともかく、糸の会の基本的な認識では「登山道は不整地だから体にやさしい」ということです。そして危険があるところだけ安全対策をしてもらえれば、それが私たちが歩きたい登山道、という考え方になっています。でも「誰にでも歩きやすい登山道に」という思い違いがあちこちにあって、たとえば最悪の方向へ向かってしまったのがシャクナゲの天城山(2022.5.12を参照)です。

白馬岳、白馬三山
1日目【撮影】15時04分=伊藤 幸司=0284
ようやく八方池山荘への下りです。けっきょく、天気は穏やか、展望はあまりなし、花はそこそこ、という腹ごなしでした。

白馬岳、白馬三山
1日目【撮影】15時09分=伊藤 幸司=0291
けっこうあちこちにあったけれどわざわざ撮る気にならなかったオヤマソバ、花が蕎麦に似ているという命名のようです。でも高山帯の砂礫の中では独特の存在感を見せてくれることが多いと思います。ウィキペディアで見ると「日本固有種、北海道では十勝岳、日高山脈、アポイ岳、ニセコ連峰に、本州では八甲田山、八幡平、岩手山、秋田駒ヶ岳、早池峰山、東吾妻山、北アルプスなどに分布し、高山帯の砂礫地や岩場に生育する。」とありますから、もっと敬意を払わなかればいけない花でした。最後の最後に「撮っておくか」という軽い調子でシャッターを切ったのですが。

白馬岳、白馬三山
1日目【撮影】15時18分=伊藤 幸司=0299
八方池山荘のところで八方アルペンラインのグラートクワッドリフトに直行しました。1998年の長野オリンピックではこのあたりに滑降競技のスタート地点が設けられたんですね。国立公園に一部かかる状態でスタート地点を引き上げることになったため、大きな問題になりました。
それにしても「Grat Quad」リフトってすごい名前なんですね。家に帰ってネットで30分ぐらいかけないと納得できませんでした。クワッドは四つ子なんていう意味らしく、新聞には「日米豪印戦略対話」に使われていますからなんとなく「四」という感じがしますが、グラートはどうもドイツ語で「痩せ尾根」という意味のようです。ザイテングラート(山頂から張り出した岩尾根)なんていうかっこいい登山用語のグラートなんだそうです。意味ワカランでも、せめて親しみやすい呼び名にしてもらえませんかね、と後で思いました。ともかく「4人乗りリフト」っていうことだけわかればいいんですけれど。それ以外のなにかとくべつなこと、……ないみたいですね。

白馬岳、白馬三山
1日目【撮影】15時30分=伊藤 幸司=0320
これは下りが右側ですから乗り換えた2つ目のリフト。アルペンクワッドリフトです。アルペン・クワッドリフトと2語にすれば「アルペン気分の4人がけ」という平ったい感じになります。牧歌的アルペンというニュアンスですかね。

白馬岳、白馬三山
1日目【撮影】15時39分=伊藤 幸司=0325
アルペンクワッドリフトの足元にあったヤナギラン。英語で「Fire weed」というのは、たぶん「火事場草」というような意味が強いのだと思いますが、これを州花としているカナダ・ユーコン準州で山火事の跡地に、その光景を再現するかのような勢いでこの花が広がっているのを見たりすると、日本で見るのとはまた違った印象を持つことになります。

白馬岳、白馬三山
1日目【撮影】15時44分=伊藤 幸司=0329
北アルプスの山並みを背にして、このアルペンクワッドリフトで下っていると、この「アルペン」はアルプス地方の山村風景を表しているんだとガッテン!

白馬岳、白馬三山
1日目【撮影】15時45分=伊藤 幸司=0332
3つ目が「八方ゴンドラリフト・アダム」なんですね。空中に張られたロープに吊るされた交通機関「索道」は3種類あってロープウェイ、ゴンドラリフト、リフトだそうです。そしてロープウェイとゴンドラリフトとの基本的なちがいは、ロープが2本と1本なんだそうです。ですから「八方ゴンドラリフト」はこの写真で一目瞭然。ただ「アダム」はなんですかね。もう調べませんけれど。



2日目(8月22日)


白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】10時25分=伊藤 幸司=0397
最終集合地点の猿倉荘バス停に全員が揃いました。女性が6人と男性が私を含めて3人。私の個人的な理由で娘(37歳)が特別参加していますので除外すると、残りの8人の平均年齢は73歳、私が最高齢の78歳で、一番若いAさんが69歳という陣容です。コロナ禍によって糸の会では2020年4月から2年半、小屋泊まりや3,000m級の山などはほとんど実施できず、この夏に復帰戦として7月に燕岳、そして8月にこの白馬三山を行うという計画を立てたのです。全員、10年、20年と「月イチ」以上の登山で維持してきた「登山力」が相当低下している不安を抱えた状態での「白馬三山縦走」のはじまり、はじまり。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】10時42分=伊藤 幸司=0408
猿倉から白馬大雪渓へと行く林道から鑓温泉へと向かう道が分かれます。きちんとした道標があるのでホッとしました。コロナ禍で登山道や登山施設はガラリと様変わりした例も多く、こわごわ歩く羽目になる危険もナシとはいえないからです。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】11時21分=伊藤 幸司=0425
前の方の人たちが止まって写真を撮っていたところにあったのがこれ。ヤマナメクジというんですね。ウィキペディアには「軟体部はとても大きくて13-16cmに達する例もある。背面は灰褐色から黒褐色で、両側に幅の広い黒っぽい縦に走る帯状の紋があり」とのこと。「山間部、森林内に生息する。普段は倒木の下などに潜んでおり、夜間や雨の日は昼間も出てきて活動する。キノコを好んで食べる。」……ともかくこのオバケナメクジが日本原産だそうですから、すごい。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】11時28分=伊藤 幸司=0436
植物の名前にはヘンというか、カワイソウというか、名付け親の顔を見たいというものが多いのですが、これはカニコウモリ。葉っぱが「カニコウモリ」だというのですが、わかりません。わたしが山の花を知りたいと思ったころに図鑑の最初の方にあったのでずいぶん見た記憶がありますが、最近はあまり関心がなくなって、あっても目に入らないんだと思います。日本の山から消えてしまったような印象でしたから。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】11時29分=伊藤 幸司=0438
ひょっとして、これはクサアジサイでしょうか。グーグルレンズで調べたらそれみたいだと思いましたが、ウィキペディアによると「白色または淡紅色の花を多数つける」というので、どうもあやしい。結局ヤマアジサイらしいという結論にしました。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】11時32分=伊藤 幸司=0442
これはマイズルソウの葉っぱですね。花期は5-6月、あるいは5-7月、その後赤い実をつけるというのですが、その場合は2枚の葉が鶴の両翼になっています。これはまだ葉が1枚だけなので茎を伸ばせる段階ではない……とのこと。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】11時46分=伊藤 幸司=0452
この日は白馬岳の山麓から、鑓ヶ岳の山麓まで、つまり白馬三山の裾野をトラバースするだけなので簡単、と思っていたら、ヒューマンサイズのアップダウンはどこからでも出てきました。大きなパワーを要求される段差ではダブルストックが活躍します。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】12時04分=伊藤 幸司=0463
前方に見えてきたのが小日向山(標高=1,908m)らしいのですが、私たちはその右肩の小日向のコル(標高約1,800m)で向こう側に抜けていくようです。歩きはじめて1時間半、そろそろエネルギー補給のための休憩が必要です。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】12時05分=伊藤 幸司=0467
きれいな状態のヤマアジサイが登場しました。ほんとうにヤマアジサイでいいのかどうか、わかりませんが、このブルーはわたしが特別気に入っているコアジサイのブルーに匹敵するものだと思いました。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】12時10分=伊藤 幸司=0471
以前、猿倉荘から白馬尻小屋へと伸びる林道でヤグルマソウが圧倒的な存在感を見せていたことを覚えていますが、ここにもありました。5枚の大きな葉を広げて密集し、一帯の植物を支配していくさまは憎々しいほどですが、これが青年期だとすれば、幼少期から老年〜老衰までの飾らない「人生」をきちんと見せてくれることに感服するのです。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】12時20分=伊藤 幸司=0478
ウツボグサの群落がありました。花が終わった状態ですが、なかなか立派な群落だと思いました。ただ、これはタテヤマウツボグサで花名索引ではタ行でないと出てきません。そしてウツボグサとの違いも、どうもはっきりしません。「三河の植物観察」で「タテヤマウツボグサ」を見てみたら———ウツボグサに比べ、全体に大型。葉は対生し、長さ3~8㎝、幅1.5~4㎝の狭卵形~広卵形、葉柄がほとんどなく、基部が茎を抱き、先が尖り、鋸歯縁。花柄が短く、花穂がウツボグサほど長くならず、短い。花冠は長さ2.5~3㎝、青紫色~赤紫色。———とのこと。「亜高山〜高山の草地」にあって、「本州(中部地方以北)」だそうですから「タテヤマ」ではなく、「ヤマ」とか「ミヤマ」にしてほしいと思いますね、シロウトとしては。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】12時24分=伊藤 幸司=0480
ウツボグサの花はいちおう6-8月とされているようですが、まさに花の終わりという感じですかね。ロープウェイ駅で買った「八方図鑑」ではタテヤマウツボグサとなっています。「白馬五竜高山植物園」によると「低山に生えるウツボグサに近い仲間で、亜高山帯以上の標高でみられる植物です。ウツボグサより背丈も花も大型になります。」とのこと。植物の「大きい」「小さい」はシロウトの判断基準にはならないのですけれどね。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】12時24分=伊藤 幸司=0481
ウツボグサに変わってこれから花を咲かせようとしているのがオトギリソウでした。独特の黄色い花は遠くからでも目に飛び込んできます。近づくと、一番上の花にちょっと見えますが、長い雄しべが多数突き出ています。画面下の花のあたりに茶色の小さなツブツブが葉のシミ・ソバカスのようにも見えますが、それぞれ黄色い花になるつぼみです。花期は7〜9月ということです。ロープウェイ駅で買った「八方図鑑」にはオトギリソウとシナノオトギリが両方あるというので、その違いを調べてみると「日本アルプスの花」というサイト(http://minaphm.starfree.jp/)に次のように書かれていました。「日本アルプスのオトギリソウ属は、シナノオトギリとイワオトギリの二種が見られますが、区別は非常に難しく、葉の縁に黒点があるシナノ、葉全体に黒点が多いイワという違いです。」……だって。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】12時26分=伊藤 幸司=0485
標高約1,240mの猿倉を出てから2時間できちんとした休憩をとりました。標高約1,650mですから標高差で400m上がってきたことになります。地形図上で測った距離はおよそ2.5kmですからまあ実際には3kmあたりとして、時速1.5kmという感じ、ルートの傾斜は緩やかなのに、ゆっくりめの「縦走スピード」という感じ。ここでは「あとどれくらいあるの?」という気分を刺激しないようにして、とりあえずエネルギー補給をしました。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】12時26分=伊藤 幸司=0486
明日と明後日歩くのは北アルプスの稜線ですから、登山道としては難易度は高くないとしても、気象条件はさすが北アルプス、こちらには逃げる手しか使えません。こういう雲の動きが明日に向かってどう動くのか、わからないけれど、気になります。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】12時30分=伊藤 幸司=0488
これはノアザミのようですね。根拠は八方尾根にある、とされているから、です。じつはアザミは開花期が同じモノ同士での交雑が多いということで、素人には手が出せません。「Tam's 素人植物図鑑」によると「アザミの仲間で春から夏にかけて咲くのはこのノアザミだけで、春にアザミが咲いていたらこれだと思って間違いない。」とのこと。加えて「低地に生えるものは上の写真のような姿だが、高原に生えるものは下の写真のようにひょろっと花柄が長く、花期も遅く、まるで別種のように見える」そうです。この写真がまさにそれ、かどうかわかりませんが。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】12時36分=伊藤 幸司=0494
トリカブトも出てきました。なぜか購入した「八方図鑑」に出ていなかったので「白馬五竜高山植物園」のサイトで見るとミヤマトリカブトだそうです。そのミヤマトリカブトを「四季の山野草」というサイトで見てみると「ヤマトリカブトと良く似るが、高山種がこのミヤマトリカブト(深山鳥兜)。姿形が良く似ているので、それぞれの種類を区別するのは難しく、生息場所で区別するのが一般的。」とのこと。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】12時37分=伊藤 幸司=0496
シシウド親分にはじまるセリ科シシウド属の高山植物は独特の雰囲気を持ちながら、大小様々。私は一時その一覧図を持っていましたが、とうとう見るのをやめました。したがってこれがナンなのか。どうでもいいのですが「八方図鑑」にアマニュウ、ミヤマトウキ、タカネイブキボウフウとあったので、アマニュウだと思うことにしました。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】12時38分=伊藤 幸司=0500
かなり立派なトリカブトですね。ミヤマトリカブト、ですかね。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】12時38分=伊藤 幸司=0504
昨日、八方尾根で見たマルハナバチとは違う、と思ったのですが、グーグルレンズで調べてみると自信を持ってマルハナバチというのです。体の文様は違うようですが、体に対して小さすぎる感じの羽根ではありますね。座布団のような花は、上から覗き込んで撮っているというだけの理由ですが、高さが20〜50cmというミヤマトウキにしておきたいと思います。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】12時41分=伊藤 幸司=0507
トリカブトは毒草でシカが食べないことから、いまや山の花としてはポピュラーですが、これなどは美しい、と思いました。。これは当然ミヤマトリカブトでしょう。ウィキペディアによると「形態的変異が著しく、茎は、草原に生えるときは直立し、林中に生えるときは斜上して上部は大きく垂れ、高さ・長さは30-200cmになる。」とのこと。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】12時41分=伊藤 幸司=0509
ミヤマトリカブトの花をいくらかアップしてみましたが、よけいわからない感じかも。でも色はすごいですね。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】12時41分=伊藤 幸司=0510
この道は長い年月、利用する人たちによって少しずつ、間断なく手入れされてきたように見えますね。そこで「白馬鑓温泉」(はくばやりおんせん)をウィキペディアで見てみると、明治初期と戦後の昭和期に麓への引湯が試みられたがいずれも失敗。源泉にはすでに大正期に小屋掛けができていて、それが白馬山荘の系列山小屋となって現在に至るという。現在白馬村で白馬八方温泉とされているのは、この鑓温泉からの引湯に失敗したのち、1982年に小日向(おびなた)の湯の近くでボーリングに成功したものだという。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】12時48分=伊藤 幸司=0514
標高約1,700mからいよいよ登山道らしい登りになり、標高1,824mの「小日向(おびなた)のコル」まで続くはずです。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】12時49分=伊藤 幸司=0521
登山道わきにウメバチソウが咲いていました。造りの良い工芸品という感じが私は好きです。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】12時49分=伊藤 幸司=0522
ウメバチソウのアップが撮れました。いかにも高級品という作りですね。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】12時49分=伊藤 幸司=0523
昨日八方尾根で見られなかった花盛りのハクサンシャジンです。じつは晩成社から2007年に出た『山の道、山の花』の発端はこのハクサンシャジンの写真でした。糸の会の創設期メンバーでもあったデザイナーの鈴木一誌さんと晩成社を訪ねたとき、ザックいっぱいの写真群を見ていた尹(ゆん)隆道・成(そん)美子ご夫妻がこの「ツリガネニンジン」見るや、子どもたちと山に出かけてこれを見つけて「朝鮮人参!」と大騒ぎしたことを懐かしく思い出して、それで単行本企画が一発で決まったのです。
ハクサンシャジンはツリガネニンジンの高山型で、いずれも根は朝鮮人参にそっくりなんだそうです。そのため(ウィキペディアによると)「姿が朝鮮人参に似た根は強壮作用があるといわれ、年間を通じて採取でき、細いひげを取ってから千切りにしてきんぴらなどにする。」というものであったようです。しかし同時にウィキペディアには「昔は朝鮮人参の偽物に用いたといわれるが、朝鮮人参とは薬効は異なり代用にはならない。」とも書かれていますね。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】12時50分=伊藤 幸司=0524
念のためにグーグルレンズでこの写真を撮るというかたちの検索してみると、ツリガネニンジンとハクサンシャジンの両方が紹介されました。グーグルの画像検索は年々精度を高めていて、言葉ではなくこちらの画像で検索できるようになったので、山で見た花をロングとアップでいろいろ撮っておくだけで、候補を絞りやすくなりました。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】12時52分=伊藤 幸司=0527
この写真をグーグルレンズで検索したら「シオガマギク」と出ました。私の知らない花なので調べてみると花も葉もこれと同一と思われる写真がたくさん出てきました。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】12時52分=伊藤 幸司=0528
前の写真を単純にアップで撮ったのですが、シオガマギクといいうのは花と葉と茎の取り合わせがなかなか魅力的だったんですね。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】12時53分=伊藤 幸司=0531
標高1,824mの「小日向(おびなた)のコル」に向かってまだ登りが続いています。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】12時54分=伊藤 幸司=0532
ツルリンドウがありました。が、問題がひとつ。茎の色が「紫色を帯びる」というのが基本的な条件のようで、これはどうなのかという不安が残ります。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】12時54分=伊藤 幸司=0534
ゴゼンタチバナも出てきました。首都圏の日帰りの山でもポピュラーで、見飽きるほど見てきましたがその名前が出てこない。待っていれば出てくるはず、ですけれど何分かかるかわからないし、次の作業にとっかかっていないと出てこない。ひょいと出てくるのを待つぐらいなら、や〜めた、とするほうが合理的なんですね。でもこの写真をグーグルレンズで検索したら、瞬時にゴゼンタチバナと出てきました。ありがたや。この写真を撮ったときの意識はただ単純に真ん中に入れて撮る、というだけだったようで、右端に見えるマイズルソウの葉や、右下隅には花をつけない段階の4枚の葉のゴゼンタチバナも引っかかっていたというのに。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】13時00分=伊藤 幸司=0542
ようやく、登りも終焉に近づいて、雪解けの時期には湿原になりそうなところに出ました。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】13時01分=伊藤 幸司=0544
やっぱりね、ミズバショウがありました。その周囲にあった白い花はイワショウブ……だと思います。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】13時02分=伊藤 幸司=0545
オヤマリンドウがありました。山の湿原で秋を代表する花だということです。ウィキペディアによると「エゾリンドウに似るが少し小さい。日本の特産種である」と。まあ見られるのを待っている状態ですから「オヤマ」か「エゾ」かは後回しでも。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】13時03分=伊藤 幸司=0546
山麓側なのに盛り上がっているこの部分が小日向山(標高1,908m)です。さらにあそこまで登らされるんだったら、たいへん、と思いましたね。標高差約100mですから標準的な登山道があれば(平地を時速4kmで歩くパワーで)20分前後という「距離」ですけれど。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】13時07分=伊藤 幸司=0549
マイヅルソウが実をつけていました。「サンブーカ・ブログ」の「マイヅルソウの実と花」には次のように書かれていました。「マイヅルソウの実が熟すのは秋です。最初はマーブル柄のような “まだら” 模様があって、徐々に透き通ったルビーのような赤色になります。ベリー類の果実のようにも見え、食べてみるとなかなか美味しいです。熟す前だと苦味を感じますが、完全に熟すと甘酸っぱい味になります。」……「マーブル柄」の段階なんですね。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】13時08分=伊藤 幸司=0550
たったこれだけですけれど、2時間半ほどの区切りの点がこれでした。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】13時10分=伊藤 幸司=0554
この赤い実が眼前に現れて、気分がすっかり入れ替わりました。なんだか久しぶりに会った仲間みたいな感じでした。「山川草木図譜」というサイトの、オオバタケシマランの解説が、昔くりかえし読んだ解説のように懐かしく感じました。———タケシマランは「蘭」ではなく、「ナルコユリ」や「アマドコロ」などに近いユリ科の植物。オオバタケシマランは普通の「タケシマラン」よりも高山性で、草丈が大きくなります。葉腋から一個づつ吊り下がった形で白い花が咲きますが、この花柄が直角に折れ曲がるのが特徴的です。また、互生する葉の付け根が茎を抱くのも特徴です。吊り下がった花は夏の終わりに赤い実になります。———

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】13時13分=伊藤 幸司=0557
サラシナショウマだと思いますが、ちょっと隙間が多くてブラシとしては毛がスカスカ状態に見えました。そこで近似のイヌショウマを調べてみるとmirusiru.jp というサイトの「サラシナショウマ」に次のような記述がありました。サラシナショウマは「イヌショウマそっくりな白色ブラシ型の花で、よく見れば小花に柄(え)があるのが見分けのポイント」とのこと。写真のブラシでは花が少ないかわりに「柄」がよく見えます。若干貧相だとは思いますが、サラシナショウマでいいんですね。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】13時13分=伊藤 幸司=0558
オオバギボウシです。私たちはこの花の付き方で見るわけですが、葉っぱのほうを注視する人たちのほうが多いかもしれません。「自然観察雑記帳」によるとオオバギボウシは———「ウルイ」と言う名で親しまれていて、庭先にもよく植えられている植物。葉柄を茹でて干したものは、山がんぴょうと言う。有毒の「ばいけいそう」とは葉柄があることで判別出来るが、若芽の時は難しい。———ですって。さらに食べ方については「若芽、葉柄は天ぷら、おひたし、和えもの、煮物。花はおひたし、酢のもの。一つまみに塩を入れた熱湯で茹でおひたし、和えものにする。」と。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】13時13分=伊藤 幸司=0559
ウツボグサの花がかなり美しい紫色で咲いていました。「日本中どこにでも見られる多年草」だそうです。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】13時13分=伊藤 幸司=0560
オオバギボウシの大きさが分かる写真になりました。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】13時15分=伊藤 幸司=0565
野菊の一種でしょうね。もともと私の手には負えないのでグーグルレンズで検索してみると「シオン」と出てきました。八方図鑑にあるのは「ノコンギク」。私がこの写真で確定しようとすると泥沼です。どちらもキク科のシオン属なんですね。ウィキペディアで「ノコンギク」を見ると———野菊の1つでヨメナに非常に似ている。ただし種内の変異は大きく、同種とされるものにはかなり見かけの異なるものがある。———とのこと。結局ウィキペディアで「野菊」を開いてみると力作です、解説が。その「菊と野生種」を読むと「目からウロコ」という感じがしました。
———一般に栽培されている菊は、和名をキク(キク科キク属 Dendranthema grandiflorum (Ramatuelle) Kitam.)と言い、野生のものは存在せず、中国で作出されたものが伝来したと考えられている。したがって、菊の野生種というものはない。
しかしながら、日本にはキクに似た花を咲かせるものは多数あり、野菊というのはそのような植物の総称として使われている。辞典などにはヨメナの別称と記している場合もあるが、植物図鑑等ではノギクをヨメナの別名とは見なしていない。現在では最も身近に見られる野菊のひとつがヨメナであるが、近似種と区別するのは簡単ではなく、一般には複数種が混同されている。キク科の植物は日本に約350種の野生種があり、帰化種、栽培種も多い。多くのものが何々ギクの名を持ち、その中で菊らしく見えるものもかなりの属にわたって存在する。———

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】13時16分=伊藤 幸司=0566
オオバギボウシの葉、だと思っていたのですが、「コバ」のギボウシってどういうものかな? と思って調べると、ありました。「四季の草花」というサイトに———オオバギボウシと比べて葉も花も小型であるが、紫色の花がよく目立つ。葉は長さ10-20cmで、オオバギボウシより細長く、葉脈は窪み、基部は葉柄に沿って細くなる。———と、ただ私の写真で葉脈が窪んでいるのかどうか、わかりません。そこで念のためウィキペディアで「オオバキボウシ」を見てみると———葉の裏面に突出する平行脈を持ち、中央の太い葉脈から、両側に平行してそれぞれ十数本の葉脈が葉先に向かって走り、表も裏も葉脈がはっきりしている。———だそうです。どうですかね、これ。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】13時17分=伊藤 幸司=0569
この写真、重要なものが見えた瞬間なのですが、私はそれに気づかずにこの写真を撮りました。写真の中で写真を撮っていた娘も、あるいはその「重要なもの」ではなくて、目の前のサラシナショウマを撮っていたのかもしれません。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】13時17分=伊藤 幸司=0572
圧倒的な存在感のサラシナショウマと、それにかしずくトリカブトとアザミ、という山岳風景を私は見たのです。ここでは……

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】13時19分=伊藤 幸司=0575
地形図上の水準点では標高1,824mの小日向のコルから、1km以上先で1,856mとなります。白馬三山の裾野をひたすら歩いている、という気分になってきました。正面に見えているのは鑓ヶ岳の山腹ですから、そのどこかに今日の目的地、宿があるはずです。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】13時20分=伊藤 幸司=0577
この一角はノアザミの群落みたいですね。ノアザミは八方尾根にあるというのでウィキペディアで確認してみると「花期は初夏から夏(5 - 8月)で、アザミ属の中では春咲きの特徴をもつが、まれに10月まで咲いているものも見られる」はいいとして、「花は、枝の頂に上向きに直立して頭花がつく頭状花序」というので違いますね。この雰囲気で花が横向きに咲くのは、たとえばサワアザミらしいのですが、タテヤマアザミというのがあるので、それにしておこうと思いました。キク科のアザミ属というのも、交雑しやすく、素人が気軽に手を出せないと丹沢でのレポートにはよく書かれています。……でこれをタテヤマアザミだと決めてしまえばあとは簡単! 「花図鑑・花調べ」というサイトで見ると「北アルプス北部の林縁や草地などに生える多年草」で「7-9月に2cm程の紅紫色の頭花を横向きにつける」とのこと。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】13時21分=伊藤 幸司=0578
タテヤマアザミの横向きの花、ということにしておきます。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】13時23分=伊藤 幸司=0581
サラシナショウマに邪魔されましたが、6分前の13時17分に撮るべき風景だったのはこれでした。わからない方は次の写真を見てください。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】13時23分=伊藤 幸司=0583
いよいよ、白馬鑓温泉小屋が見えてきたのです。冬期には雪崩の害から逃れるために完全分解されるという特殊な山小屋です。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】13時27分=伊藤 幸司=0585
今日の目的地が見えた! というのに、まだ遠い! ということもわかったので、とりあえず休憩しました。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】13時28分=伊藤 幸司=0587
落ち着いて、もう一度鑓温泉小屋を撮ると、テント場と小屋の間にある2つの建物の間に露天風呂があるのだということがわかりました。左側が脱衣場で、その左脇に人の姿が写っています。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】13時30分=伊藤 幸司=0588
平らだからいい道かというとそういう身勝手な期待に応えてくれないのが登山道です。登り傾斜がないので「楽」ではありますけれど。
白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】13時30分=伊藤 幸司=0590
頭上を超えてそびえているのはタケニグサだと思いますが、どうでしょうか。葉のアップを撮っていないので確認できません。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】13時31分=伊藤 幸司=0591
草のジャングルに踏み込んでいくような気分です。頭に飛び出ているのはシシウドとかアマニュウですかね。大きな葉っぱはなんでしょうかね。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】13時31分=伊藤 幸司=0593
この線香花火のようなセリ科の花は、もちろん見たことはあります。大はミヤマシシウドからは小はシラネセンキュウなどまでまるで宇宙を想像させるような花々のひとつなのですが、八方図鑑にはミヤマトウキ、アマニュウ、タカネイブキボウフウが載っているだけなので役に立ちません。グーグルレンズでこちらの画像をいくつか検索してみましたが、その度に結果が違うだけで、アタリがでません。結局、ミヤマゼンコが一番近いのではないかというところで手を打ちました……が。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】13時32分=伊藤 幸司=0596
これはもちろん最盛期の花の状態ではないらしいとは思っても、それが幼児期の顔写真に等しいものだったら、結論が出るわけないだろうと思って、最後にしようと思って「魅惑の高山植物」のセリ科が面白いというサイトを開いてみたのです。するとほとんど同じような顔つきの写真がでてきて、それに「ミヤマシシウド」「アマニュウ」という名札がついていたのです。———白山に登って3日間で観察したセリ科はミヤマシシウド、ハクサンボウフウ、アマニュウ、オオハナウド、ミヤマセンキュウ、ミヤマゼンコの6種。高山に咲くセリ科はミヤマシシウドを初めとする大型で迫力のあるものが多いが、中には目立たなくひっそり咲いているものもある。私は以前、セリ科の見分けがつかずに避けていた時期があるが、思い直して積極的に関わるようになってからセリ科が面白くなってきた。つまり親しくなれば良さが見えてくるということなのだろう。いつも向き合っていれば自然に覚えられるというもの。———だそうです。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】13時34分=伊藤 幸司=0597
タケニグサのジャングルを「かきわけて」という気分の道です。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】13時51分=伊藤 幸司=0598
「見えてからが遠い」というのが山の道、足がつって遅れる人が出ました。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】13時57分=伊藤 幸司=0604
ヤマホタルブクロがありました。けっこう立派なサイズでしたね。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】14時00分=伊藤 幸司=0607
「八方図鑑」にあるのでカンチコウゾリナでいいのでしょう。「山散歩 花散歩 徒然想」に次のような説明がありました。———カンチコウゾリナとミヤマコウゾリナは全体に剛毛が生え、総苞が黒いという共通点があるものの、葉の付き方、形で区別するのがいいようです。カンチコウゾリナは葉先が尖り鋸歯が鋭いのに対し、ミヤマコウゾリナは葉先が丸く、下部に大きな葉が付きます。———

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】14時02分=伊藤 幸司=0611
標高1,856mの水準点はまだ先です。標高2,903mの鑓ヶ岳の東麓側1,000m下という感じのところです。地図ではその1,856m地点の先で杓子沢を渡るのです。このあたりに樹木が少ないのは、冬の雪の圧力などによるのでしょうか。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】14時04分=伊藤 幸司=0612
グーグルレンズで検索したら、一発でカラフトダイコンソウと出てきました。「四季の山野草」では「ダイコンソウ、オオダイコンソウの仲間で、本州中部地方以北の山地に生育する。」とありました。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】14時10分=伊藤 幸司=0614
登山道では足元に、こんなふうに広がっているのがふつうだと思います。「八方図鑑」によるとミヤマコゴメグサ。ウィキペディアには「日本固有種。本州の中部地方の北アルプスを中心に、山形県から滋賀県に分布」と書かれています。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】14時10分=伊藤 幸司=0616
ミヤマコゴメグサの特徴のひとつは、なんといってもこの黄色ですね。私は長くフルサイズの一眼レフカメラEOS-1(1989年の発売当初からキヤノンの広報活動に関わってきました)でしたが、山の花をルーペで見る楽しさのためにポケットサイズのデジタルカメラも持つようになり、1万円で買えるその手のカメラを「軽くて安い」山の道具と考えて、周囲の皆さんにおすすめし、同時に「フォトエッセイ」の試みとしてこの「山旅図鑑」の起点となる「発見写真旅」を2012年に始めたのです。
ともかく、ポケットタイプのデジタルカメラは小さなレンズ(広角レンズ)を使っていることから接写能力が高いのです。デジタルカメラの大きな画面で花のクローズアップを見ながら、その瞬間を記録できるということが、すごく楽しい、ということに加えて、1万円のカメラでも「フォトエッセイ」の道具として十分使えるのだ、ということで周囲の皆さんに気軽に参加していただける「発見写真旅」が始まったのです。ただし現在ではスマホのカメラ機能がとてつもなく高度なものになって、1万円カメラなどは「おもちゃ」になってしまいましたが。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】14時10分=伊藤 幸司=0617
結果として、このあたりが「標高1,856m」水準点だったと思われます。いよいよ鑓温泉へと登っていくのです。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】14時11分=伊藤 幸司=0619
13時15分に見たノコンギクをまた撮りました。野菊とはいえ、細部までしっかりとつくられているということがよくわかります。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】14時11分=伊藤 幸司=0620
さきほど見たミヤマコゴメグサの、かなり元気な集合写真。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】14時12分=伊藤 幸司=0621
オヤマソバの群落ですかね、これは。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】14時12分=伊藤 幸司=0624
ウメバチソウも鄙には稀な、という雰囲気の美人ですね。少々厚化粧かもしれませんが。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】14時13分=伊藤 幸司=0625
隣のこのヒトたちも同じ日、同じ場所の、別のグループというべきウメバチソウですから、前の写真のウメバチソウさんたちは極めつけのべっぴんさんだったといえそうですね。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】14時25分=伊藤 幸司=0635
白馬鑓温泉小屋がずいぶん近づいてきました。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】14時27分=伊藤 幸司=0641
「標高1,856m」水準点から登りが始まり、同時に右手にくるりと回り込むと「15分後」の新しい風景が広がりました。白馬三山のひとつ杓子岳(2,812m)から流れ出る杓子沢の谷に入ったのです。この道の先が、この写真では向こう岸にほぼ水平に見えています。杓子岳の東面を深く侵食した谷を向こう岸に渡るための大きな迂回路です。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】14時29分=伊藤 幸司=0648
杓子沢の水量はこんなもの。雪解け時の光景とは全く違うんでしょうね。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】14時30分=伊藤 幸司=0653
チョウジギクです。なんとも特異な風貌ですが、なんでこんなに目立ちたがりなんだろうと思います。この風貌に関した文章を探してみましたが、変わり者という以上のものはなかなかないみたい。
「立山カルデラ砂防博物館」のFlower Watching にチョウジギクがありました。———高さ20~90cmほどになります。細長くて白い毛が密生した花柄が特徴的で、高山植物のウサギギクの仲間としては特異的に頭状花だけからなります(ウサギギクは舌状花、つまりひまわりの花びらのようなものがあります)。
菊の園芸品種に丁子菊がありますが、別種です。どちらも花の様子が薬草の丁子(字)のつぼみに似ているところから名付けられました。———

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】14時32分=伊藤 幸司=0656
チョウジギクの道脇での登場の仕方です。見落とすはずの、絶対にない花ですね。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】14時35分=伊藤 幸司=0660
いよいよ杓子沢です。今日1日を振り返ってみると、私たちが大きな風景の中にいるという光景は初めてですね。ここまでは山裾の森の中にうもれながら、ただひたすら歩いてきたという印象です。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】14時37分=伊藤 幸司=0662
クガイソウはここで初めて見た気がします。どちらかというと地味な花という印象でしたが、ここではパッと目に飛び込んできました。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】14時38分=伊藤 幸司=0664
ウツボグサも、ここではものすごく鮮やかな色に見えました。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】14時40分=伊藤 幸司=0672
ようやく、ここで杓子沢を渡ります。水量が増したとき、橋はがんばらずに、かんたんに流されて、壊れる前に自主避難するタイプのようです。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】14時41分=伊藤 幸司=0674
8月も末というのに、まだ溶け切らない雪がこんなところにもありました。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】14時53分=伊藤 幸司=0678
ヤグルマソウです。私が敬意を払って見る草です。2007年に糸の会など6年分の写真を整理して本をまとめました。『山の道、山の花』(晩聲社・電子版あり)で、キャッチコピーに凝りました。「この道をゆけば、あの花に会える」———あの山の、「記憶に残る一輪の花」に会うための、フォト・ガイドブック———というのですが、取り上げた41のうちに、この「ヤグルマソウ(波乱の生涯)」を入れたのです。
———登山者のなかには、あまり好感をもっていないひとも多いに違いない……というのは、大きな葉を傍若無人に茂らせて、まるで土地を占拠してしまったような強引な生き方をしているから。
 しかし、私はとても好き……なのだ。圧倒的な強さを見せる壮年期もあるけれど、控えめにおずおずと葉を広げる幼児期もあり、老いさらばえてなお姿を消すことなく、最後の最後まで存在感を失わない。———

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】14時59分=伊藤 幸司=0680
この写真だけで、シモツケソウ(草本)かシモツケ(木本)かわかりませんが、とにかく花が一番キレイなときでしたね。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】14時59分=伊藤 幸司=0681
タカトウダイですね。八方尾根にはタカトウダイとハクサンタイゲキがあるというので、まちがいないと思います。しかしなんでそんな名前、こんなつくりなんだと調べてみたのですが、なかなかわかりません。
「木のメモ帳」というサイトに「トウダイグサ科の異形の植物たち ~奇妙奇天烈な花のかたち~ 」がありました。まずはトウダイグサ「名前は古い時代の照明器具で油皿を使った燈台に形態が似ることから。」
それからタカトウダイ「名前はトウダイグサより草丈が高く、柱の長い燈台である高燈台に見立てたもの。頂茎に葉を5枚(時に3~7枚)散状に輪生し、その葉腋から5本(時に3~7本)の枝を放射状に出す」の「時に3~7本」がこの写真を救ってくれました。ネット上でさがしたタカトウダイの写真では「3枚の葉」も「5本の枝」も異端だったからです。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】15時00分=伊藤 幸司=0684
ヤマハハコも出てきました。カサカサと乾燥しきった雰囲気の、白い花びら状のものは総苞片、だそうです。それがこの草をいつもドライフラワーの雰囲気にしているのですね。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】15時00分=伊藤 幸司=0685
ヤマハハコの花のアップです。造りの細かさが見えてきました。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】15時00分=伊藤 幸司=0686
すごい、珍しいものを撮ったつもりでいたのですが、オオイタドリでした。珍しかったのはDyDoのサプリメント「北海道の大地が育んだ オオイタドリ」で———「オオイタドリ若芽エキス末」には、フラボノイド類やスチルベン類をはじめポリフェノールがバランス良く含まれており、この成分はすこやかな歩みを守り軽やかな日々をしっかりサポートします。———だそうです。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】15時03分=伊藤 幸司=0690
なぜか、ここではヤマハハコにこだわっていた、というより、のんびり写真を撮っている時間があったみたいですね。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】15時03分=伊藤 幸司=0691
ヤマハハコの、これがいつも見ている風景のような気がします。これまでは特別に何枚も撮っておくような花ではなかったと思います。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】15時04分=伊藤 幸司=0693
これもヤマハハコなんですが、急ぎ足の登山者には、こんなふうに見えているのだと思いました。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】15時04分=伊藤 幸司=0694
これはヤマハハコに取り囲まれた、か、ヤマハハコの領域に侵入したか、のクロトウヒレン、みたいですね。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】15時04分=伊藤 幸司=0695
ここでは周囲の黄色い花との間にいくぶんかの国境問題を抱えているようなヤマハハコという感じがしました。一歩一歩で違う光景を展開してくれているのですから、これからはヤマハハコにもっと関心を持ちたいと思いましたね。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】15時05分=伊藤 幸司=0696
で、前の写真の黄色い花ですが、この手の同類の多い花になるとアップの写真をグーグルレンズで見てもらっても「まだまだ」という感じです。八方尾根のお土産として買った「八方図鑑」にカンチコウゾリナがあったのでそちらから調べてみると、そうなんですね。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】15時05分=伊藤 幸司=0697
似た花が多い場合は、葉っぱの形と、できれば枝ぶりもわかると画像検索での確率が上がるので、今後は「全身」→「顔つき」→「体つき」という3点セットでの「写真観察」に努力したいと思います。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】15時07分=伊藤 幸司=0698
この橋の下を流れているのは鑓温泉からの無処理の「汚染水」です。道標には「鑓温泉下」とありました。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】15時20分=伊藤 幸司=0702
ここでは、私は先頭に出て、皆さんを振り返って撮っています。どうしてかというと、山小屋泊まりの常識として、16時までにはチェックインしたいのです。とくに人数の多いときには夕食の準備にかかわります。そこで標高差約100mの最後の登りで先頭に立ったのです。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】15時37分=伊藤 幸司=0705
ようやくたどり着きました。標高差100mを20分弱でしたから速くも遅くもなかったのですが、終盤は苦しくて、後ろを振り返ると皆さんの列がすぐそこにありました。私はコロナ禍の3年半、外出可能な期間に糸の会の軽い計画を実施するほかはほとんど家にこもって、スタンディングディスクですけれどパソコンに向かうか、お茶を飲みながらテレビを見るか、食事、という生活を続けてきました。元々「トレーニング不要」を掲げて「がんばらない」派でしたから、古希をはさんだこの時期に、言ってみれば「落ちるだけ落ちてみる」という気持ちでもありました。少なくとも家を一歩も出ない日が続いても精神的なストレスはほとんどない、ということはわかりました。……で、そのつけがやはり大きく、トントントンと行く予定が、後ろから追いつかれるという状態になっていたのです。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】16時34分=伊藤 幸司=0708
1,000円という高額の入湯料を加えて16,000円という仰天価格の宿賃を払って昔風の相部屋に入ると、窓の外にこの風景がありました。この灼熱列島にあって、ひょっとするとなんとかこのまま冬を迎えられるかもしれない残雪です。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】17時05分=伊藤 幸司=0709
これが毎年冬には解体される小屋の内部。5セットの布団が入る空間が上下合計16ですかね。2食付き1万5,000円という値段さえ考えなければ文句ありません。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】17時30分=伊藤 幸司=0710
食堂は36席ということで、私たちは第2陣。激しい雨が降り始めました。沢水の水道があるので汗をかいたシャツ類を洗って干したのが、さてどうなるのか。私は部屋に入れました。朝までに乾ききってはいませんでしたが、ヒヤリとした一瞬以外は問題ありませんでした。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】17時41分=伊藤 幸司=0712
夕食はごくふつう。私の大雑把な基準ではご飯と味噌汁のお代わりをして、満腹できれば合格。以前、ある小屋で真摯な試みのひとつとして豪華な鹿肉カレーを出してくれたのですが、臭いが強くて女性の多くが食べられなかったですね。小屋側としては力作のつもりが、裏目に出たケースでした。
選択できないメニューであり、味よりも翌日のエネルギー補給と考えているので、「おいしい」より、まずは「まずくない」というのが基本なんだと思います。そのための基本中の基本はご飯がおいしいこと、最低でもまずくない、というのが必須です。この夕食ではハンバーグでしたが、肉類は必要ですね。ないとマイナス点をつける人が多いと思います。
古い時代の山小屋経営の話を直接聞いたことがありましたが、掘っ立て小屋に泊まるに当たって、食事をお願いするには自分の分の米をもっていったという時代のこと、どの小屋でもカレーが定番で、オヤジさんは休日明けには宿賃と余った米をかついで下山したとのこと。「不味いカレーだと米の収量が増えたという時代ですね」と。
いまは、客が多ければどんどんヘリで空輸できます。燃料も運べるので発電機も回せます。でも、山小屋がそなえているのは冷凍庫までで、冷蔵庫を備えるには24時間発電が必要になります。その、冷蔵庫がまだ普及していないということが、山小屋の食事が、まだ下界とはちょっと違う文化をつくっているといえるでしょう。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】17時41分=伊藤 幸司=0713
あまり美味しそうに見えなくて、つくってくれた小屋にはすみませんが、満腹、かつ満足ではありました。
白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】18時06分=伊藤 幸司=0716
以前は目隠しの板壁が張り巡らされて上からは覗けなかった温泉です。湯船の手前右側から源泉がチョロチョロと流れ出ていて43.1℃。野外の大き目のプールなので計算上は最高の湯だと思うのですが、じつは熱くて、やむなく左手からホースで出てくる沢水を体の近くまで引っ張って、いい湯だな! というぐあいでした。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】18時07分=伊藤 幸司=0717
夕刻の雨が上がって、窓からの風景も、かなり気分のいいものになりました。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】18時14分=伊藤 幸司=0719
毎年解体されるトイレですから取り外し優先で選んだ小便器なんでしょうが、これが工業製品であるということは小ロットだとしても相当の数がつくられているはず。どんなところで使われているんでしょうかね。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】18時14分=伊藤 幸司=0720
これがトイレの入口です。夜になると小さなライトがポツポツと足元を照らしてくれます。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】18時16分=伊藤 幸司=0721
1段下がったところがテントサイトで、そこにある小プールは足湯だそうです。

白馬岳、白馬三山
2日目【撮影】18時31分=伊藤 幸司=0724
ここは鑓ヶ岳の東麓ですから夕景は期待していませんでした。この日の長野県の日没は18時30分。その直前に空が一瞬赤みに染まって、世界が不思議な色に包まれました。これは風呂場のあたりから鑓ヶ岳〜杓子岳の稜線を見上げる感じで振り返った写真です。



3日目(8月23日)


白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】04時41分=伊藤 幸司=0753
3日目の出発時刻を予定の06時から04時30分に前倒しで変更しました。その原因は私の思わぬドジで、前日のチェックインが(予定の14時30分から)16時直前になったので夕食が17時の組に入れず、17時30分になったのです。つまり定員36人の食事からあぶれて、30分後の2回戦に。その2回戦組ゆえに、朝食が予定の05時から05時30分に繰り下がったため、出発も予定の06時から06時30分に繰り下げるか、という状況になったのです。
さてそこで、どうもこの小屋では期待したくない「弁当朝食」に切り替えて、出発を04時30分と早めたのです。すると05時10分の日の出を山小屋からではなく、登山道から見られるということになり、また以前はよくやった「日の出30分前にはライトをつけず、あけぼのの空の美しさを楽しもう」という歩き出しにしたのです。この写真、画面左下には小屋の窓明かりが見えています。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】04時55分=伊藤 幸司=0766
日の出の15分前、小屋の窓から見上げた残雪のところまでやってきました。振り返ると小屋がまだ見えています。
ここでは私が前に出て振り返っていますが、ここにあるクサリ場は以前、初心者の人たちも含めたチームで登ったことがあって、今回も(コロナ禍でどうなったかちょっと心配だったので)先頭に出て難易度をチェックしながら振り返ることにしたのです。
でも、もっと重要なのはどこで日の出を見るかです。全員で見られる場所を探しながら「あと15分」までにいい場所が見つからないか探していたのです。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】05時09分=伊藤 幸司=0771
じつは登りはじめのような岩場の先は灌木地帯が続いて、私たちが集まって日の出を見られるような「展望」のチャンスはないようでした。国立天文台の「各地のこよみ」ではこの日、8月23日の長野県の日の出時刻は「5時10分」ですから、これはその1分前です。私たちは急登のジグザグ道の折れ曲がり地点でなんとか見通しのきくところに集まったのです。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】05時11分=伊藤 幸司=0772
日の出が始まりましたが、太陽はまだ雲の影に隠れています。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】05時12分=伊藤 幸司=0776
朝日は私たちの視野の右側にある雲をピンクに染めています。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】05時13分=伊藤 幸司=0777
予定時刻の3分後、朝日は着実に雲の向こうから上がろうとしています。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】05時15分=伊藤 幸司=0785
いよいよ私たちにとっての「日の出」です。カメラによってどのような写真になるかはさまざまですが、朝日(太陽の直射光)を受ける直前に1枚撮っておくべきだと思います。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】05時16分=伊藤 幸司=0788
朝日が直接レンズに飛び込むとレンズ内で光がいろいろの動きをして、見ていたのと違う写真になってしまいます。今のカメラはレンズの設計も製造品質も信じられないほど向上しているので肉眼では見えない世界を写し取ってくれるはずです。この写真では明るい太陽光線が画面内に人工的? な光線を描き出し、円形の光などのフレア(不必要な反射)やゴースト(絞り機構に由来する形のある光)が出ています。同じシリーズの前の機種より、レンズの内面反射が多いように感じます。
コンパクトデジカメというジャンルの中に、レンズがニョロニョロと伸びて超望遠撮影ができるカメラがあります。私はそれを「おもちゃみたい」とか「シロウト騙し」と見ていましたが、あるときその種のカメラの中古が2万5000円ほどで出ていたので冷やかし半分で購入してみたのです。2017年の2月でした。真冬の上高地から使い始めてみたのです。
すると35mm判で1,000mmに近い超望遠撮影が、なんと「手持ち撮影」で撮れるという衝撃的な能力にビックリ、さらに日の出や日没の写真もドンピシャに撮れるではありませんか。太陽がマンマルに撮れるのです。別の問題がいくつかあって1年半ほどでとうとう我慢しきれなくなって別メーカーのもの(中古で4万円ほど)に切り替えたのですが、それを5年ほど使い続けて、とうとうデジタル部分に故障が出はじめたので、後継機種(といってもすでに発売後5年の現行機種で7万円ほど)を購入したのです。いろいろ新しくなった部分はありますが、レンズ性能はちょっと落ちたのではないかと思われ、私には前のカメラのほうが完成度が高かったように思われますが、ともかくこれがその日の出の写真です。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】05時16分=伊藤 幸司=0790
これが私たちが日の出を見た場所の様子です。前の写真から14秒後に21mm相当という広角側で撮ったものです。太陽の光が画面の対角線上に、かなりはっきりとした円いゴーストを出しています。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】05時20分=伊藤 幸司=0793
北アルプスの岩場では、ストックは危険物とされていて、わたしたちは何度も嫌味をいわれたり、指導されたりしてきました。もちろん、ストックの扱い方によって岩場では無用の長物となるでしょうし、ときには安全をおびやかす邪魔者ともなるでしょうが、私は岩場でみなさんにストックを使っていただくことこそが(リーダーとしての私にとって)重要と考えてきました。
「ストックがあると安全」な領域だから、ではありません。ストックを使わない動きを見ること、つまり「邪魔になったストックのさばき方」を見ることで一人ひとりの「余裕」が見えるので「持っていていただきたい」と考えているのです。
岩場といっても、いわゆる岩登りではありません。縦走路の岩場ですから、技術レベルに問題がなければ、安全に歩けるはずのところです。私たち自身の力量がその安全領域に収まっていないとしたら、補助ロープの輪などで安全対策のひとつ、ふたつを加えなければなりません。そういう場面ではもちろん、多くは一歩、二歩の安全性というレベルなのですが、私は補助ロープの小さな輪を設置したりすべきだと考えてきました。
ではその人の、その場面での危険性を、リーダーとしてどう見つけるのか、というところで私はダブルストックのありがたさを知ったのです。気持ちに動揺のある人の動きが、邪魔なストックのさばき方でよく見えるのです。離れた位置からでもそれを見て、とりあえずストップをかけます。なんとか近づいていって、安全のための補助的な手がかりを小さなロープの輪で追加したりするのです。
「一般登山道」の岩場では一応の技術があれば通過できるようにロープやクサリを設置されています。そのレベルを超えた人なら問題ないとして、難易度は天候や気温、時間などによってもかなり大きく変わります。しかも岩場では「たった一歩のミス」で重大な結果が生じてしまいます。
先頭に立って、メンバーの技術レベルを考えながら「ルート開拓」をするというのが登山技術としては正しいのかもしれませんが、私はもっと、心理的な危険要素を排除することが必要だと考えました。そこで、ストックの「使い方」と「使わない方」を知ってもらって、それを指標にしてその人自身の「危険度」を遠くからでも見られるようにしてきたつもりです。危険を感じたら、とりあえず止まってもらって、声をかけるだけですむことが多いのですが、クサリ場や鉄階段などでは「ストックをしまわない」ことが驚くほど重要なシグナルを与えてくれる……と信じてきました。「クサリ場でこそ、ストックが重要」という糸の会の考え方は特殊かもしれませんが、リーダーには要注意メンバーの存在がものすごく見やすくなるのです。登山ルートの安全を守っているみなさんには「すみません!」ですけれど。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】05時35分=伊藤 幸司=0808
ここでは、ストックが2本とも使えません。その場合、邪魔なストックを2本まとめてザックと背中のあいだにはさむ(というピッケルの使いかた)はいいのですが、その2本を片手に持って、もう一方の手でクサリを持つというのは「危険」だと思っています。「三点支持」を原則とする岩場での行動で片手を殺していまうという判断は危険な要素をはらむからです。私はその場合。ストックはベルトを手首にからませたまま、指先は岩に対して100%使えるようにすることを要求しています。「邪魔っけだ」と思う人がもちろん多いかと思いますが、使わないストックのさばき方を見ていればその人が平常心であるかどうかが、判断できると、私は思っているのです。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】05時38分=伊藤 幸司=0816
このクサリ場で先頭を歩いている人は左手でクサリを利用しながら、右手は山側のストックを積極的に使うことで、自分の手をおよそ1m長くした効果を得ています。
次の人は両手でクサリを使っています。この場所での技術レベルがこの距離で見えるわけです。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】05時38分=伊藤 幸司=0818
このクサリ場でのこの人の精神状態がよくわかります。この写真だけならこの場所での足元の危うさだとか、風の状態だとかクサリの位置だとかいろいろあってわかりませんが、最後尾から全員の動きを見ていれば、技術の違いが見えてきます。得手不得手も。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】05時50分=伊藤 幸司=0823
行動記録よれば「0550-0600ごろ_休憩(標高約2,250m)」です。「0440ごろ_白馬鑓温泉小屋を出発(標高約2,020m)」ですから、クサリ場を抜けるのに約1時間かかって、標高差で200mちょっと登ってきたことになります。ここで初めて標高約2,750mの縦走路のある稜線が見えてきました。あと500mという標高差です。ちなみにそこまで、私たちは2時間ちょっとかかります。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】05時58分=伊藤 幸司=0825
ちょうど日がさしてパッと目に飛び込んできたので撮りましたが、これをグーグルレンズで検索しても、正解が出ませんでした。オヤマリンドウは花が複数つくというのが基本なので、これは例外扱いか。花期は8-9月ということなので、ここではまだちょっと早いのでしょうかね。もちろん複数の花をつけたオヤマリンドウも近くにありましたが、同じような感じのつぼみでした。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】06時06分=伊藤 幸司=0828
この気分は最高でした。「このまま登って行けば鑓ヶ岳」という、新しい世界に飛び出した感じがしました。感動的な。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】06時08分=伊藤 幸司=0832
エバーグリーンの「オヤマリンドウ」によると「葉は対生する単葉で、長さ3~6cmの披針形~狭卵形、3本の葉脈が目立ち、茎の下部の葉は短い鞘に。茎先の葉腋に1~7個の花を上向きにつける」とありました。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】06時08分=伊藤 幸司=0834
ベニバナイチゴは夏に乗鞍岳から立山連峰に出たところで、華やかで印象的だった記憶があります。でもこれがそのベニバナイチゴだと確信することはできませんでした。実になるとどれもこれも「イチゴ」ですよね。しかたなく「白馬」と「イチゴ」と検索語をダブらせてみたら、写真がどんどん出てくるんですね。北アルプスの亜高山帯にあればベニバナイチゴと考えていいんじゃないかという勢いです。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】06時09分=伊藤 幸司=0835
登山道の脇に、ベニバナイチゴの赤い実がこんなふうに見えてくるのです。花だともっと華やかな表情になります。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】06時10分=伊藤 幸司=0837
高山帯のお花畑の常連といえばチングルマ。当然、ここにもありました。白い花弁に黄色い雌しべと雄しべの可憐な花の、実がそれぞれに羽毛をもって、いずれは風に乗って行くのだそうです。その瞬間を見たことはないけれど。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】06時10分=伊藤 幸司=0839
この、チングルマが実をつけた状態について「peaの植物図鑑」にはこう書かれています。「実:花が終わると花柱は長く伸び、はじめソフトクリーム状によじれているが、次第にほぐれて羽毛状になる。」
なぜ1本の雌しべがたくさんの実をつけて、それぞれに羽毛を1本伸ばしているのかわかりませんが、この花柱について筑波大学の「BotanyWEB」では「柱頭がいくつかに分かれているものでは、花柱まで分枝していることもある」のだそうです。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】06時11分=伊藤 幸司=0842
ウサギギクが花をつけていました。高い山に登るとしばしば登場するので「ここにもあったか」という気分ですが、今回初めてこの花が「キングルマ(金車)」とも呼ばれると知りました。葉っぱがうさぎの耳で花が金の車。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】06時14分=伊藤 幸司=0845
ナナカマドみたいですね。白い花と赤い実のあいだの時期、という感じがします。ただ、葉に鋸歯(ギザギザ)があって「ウラジロ」ならウラジロナナカマドとされるのですが、現場で確認していません。ただもう一点、森林限界より上の高山帯にあれば、ウラジロナナカマドと決め込んでいい、と思っています。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】06時24分=伊藤 幸司=0856
これはアキノキリンソウですかね。高山帯なのでミヤマアキノキリンソウ。ウィキペディアには「アキノキリンソウの花が比較的まばらにつくのに対し、本亜種(ミヤマアキノキリンソウ)は頂部に固まってつく傾向にある」ということですから、顔つきはやっぱり海岸から亜高山帯までにひろがるというアキノキリンソウに近いのではないかと思ってしまいます。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】06時29分=伊藤 幸司=0858
森林限界を越える日本の高山のほとんどは本州中央部に集まっています。森林限界は2,400〜2,500mだと思いますが、ここは標高2,300m前後。妙高山(2,454m)から左に火打山(2,462m)、焼山(2,400m)の頸城(くびき)三山が雲海の上に見えていました。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】06時39分=伊藤 幸司=0867
これは「チングルマの実」。風にたなびく毛の根本のまろやかな塊が「実」。それがいよいよ、風に乗って飛び立つのを待っているところ、なんですね。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】06時39分=伊藤 幸司=0868
見上げると鋭い岩峰がありました。私たちは白馬山系の稜線に出たら右手に進みますが、左に向かうと天狗山荘のある天狗平から天狗尾根へ。そのおどろおどろしい岩峰がこんなふうに立ち並んでいるんですね。さらにすすむと「天狗ノ大下り」から「不帰嶮」へと下るんですね。私は未経験ですが、それを超えられたら唐松岳。八方尾根からの唐松岳頂上山荘は糸の会では馴染みのルートですね。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】06時51分=伊藤 幸司=0871
「Creema ハンドメイドマーケット」というサイトに、こんな商品がありました。
「高山で摘んだヤマハハコ15本です。自然のままです。とても可愛らしく、このままでインテリアになります。……綺麗なモノをお選びしますが、自然のままの植物の為、ご了承ください。……送料無料でお届けします。(1,200円)」

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】07時04分=伊藤 幸司=0874
雲の上での休憩。おだやかな風、爽やかな気温、日差しも心地よく、おまけに2時間半ほどの一気登りがここで一区切り。カネでは買えない特別な時間が流れていました。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】07時11分=伊藤 幸司=0880
ウサギギクですね。手前にウサギの耳が垂れています。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】07時11分=伊藤 幸司=0881
ウサギギクの花は「茎の頂に黄色い頭状花をひとつだけ上向きに」つけて「筒状花のまわりに舌状花をならべ」「その舌状花の先端部は3〜5裂」で、それがキク科の花の一般的な構造だそうです。花弁(舌状花)が何枚なのか調べようとしたのですが、わかりません。関係ないみたいですね。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】07時20分=伊藤 幸司=0883
左下にあるのが先ほど見えた岩峰ですかね。画面右上に見える小屋は天狗山荘のようですね。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】07時23分=伊藤 幸司=0889
ウサギギクの群生です。私はどちらかというと、数本がバラバラと並んでいるような場面が好きなんです。1本1本の顔つきがそれぞれ違うようなときですかね。スタイルや顔つきはそれほど違わないのに、なんとなく個性豊かに見えるというときに「うさぎの耳」も生き生きと感じられます。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】07時23分=伊藤 幸司=0891
こんなウサギギクは初めてみました。「素人植物図鑑」に「よくチングルマと混生している。日当たりのよい高山帯の雪田周辺の湿った草地や礫地に生える多年草」とありますが、まさにこの写真の光景ですね。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】07時27分=伊藤 幸司=0896
大出原(おいでっぱら)という道標があったのは標高約2,500m。主役はヨツバシオガマになりました。ちょうど満開、という感じですかね。この大出原は氷河地形としては小規模の圏谷(カール)で大雪田が夏まで残るような場所だということです。つまり夏の花が咲き始めるのが遅いところ、のようですね。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】07時28分=伊藤 幸司=0900
ロープウェイ駅で買った「八方図鑑」にはこのヨツバシオガマのほかに、ハクサンチドリ、ノビネチドリも出ています。探してみたら、あったかもしれません。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】07時29分=伊藤 幸司=0902
ミヤマアキノキリンソウですかね。その花の上にクモがいました。グーグルレンズで画像検索してみましたが、この写真では無理みたいです。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】07時40分=伊藤 幸司=0909
稜線が見えてからすでに1時間半、登っても登ってもなかなか稜線に近づかない、というイライラが見えてきました。標高約2,600m、稜線までまだ標高差で150mほどありそうです。そこで10分休憩にしたのです。
糸の会ではもう永いこと「昼食休憩」はせずに、リーダー権限で「5分」と「10分」2種類の休憩を適当に織り交ぜます。「5分休憩」はザックを下ろして水をひと口(2口でも3口でもいいですし、甘いものなどもいいのですが)飲むという取り決めです。私は初参加の人がいたら、その人の水の飲み方を観察します。そして複数回の「10分休憩」では食べ物(たとえばおにぎりひとつ)でのエネルギー補充。
ここでの「10分休憩」はジャスト10分でしたけれど、出発もリーダー(すなわち私)が決めるので、意図的に伸ばすこともあります。風景がいい、風がいい、気分がいい、とか、ちょっとバテ気味の人がいるとか、あるいは意味なく長めにしたほうがいいとか、そのときの気まぐれで。
じつは、山歩きのリーダーのいちばん重要な権限がその「休憩管理」だということを信じて何十年になるでしょうか。「30分に5分」だとか「1時間に10分」という常識的な目安をベースにしていますが、メンバーのなかにその人自身の時間感覚で休憩を主張する人がいるというのを頑強に拒んできました。
詳しく語ろうとすると長くなるのでここでは触れませんが、この、残り30分ほどの登りはバテ気味の人にはこれからどんどん大きな負担になってくるはずです。でも所詮は30分の登り、私は「10分かっきりで出るほうがいい」と思ったのです。それがアタリかどうかはわからないとして。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】07時41分=伊藤 幸司=0912
今回参加した私の娘は、非常時の連絡係として頼んだのです。私のコロナ禍の体力低下と心肺機能の低下とで非常事態が生じないとも限りません。娘に助っ人を頼むつもりはないけれど、連絡役がいることで、私のリーダーとしての責任部分に思わぬ負担が加わることはない、という程度の安心感のためでした。(参加者のみなさんにご迷惑をおかけする危険がないとはいえませんが、そのときには娘がそれなりに対応してくれるでしょう)
小学生のころには糸の会でも積極的に「お子さんも参加可」というような企画をしていて、北八ヶ岳のスノーハイキングに参加させたりしましたが、この30年近く、本人は山歩きとは無縁の生活。突然北アルプスに呼ばれたのです。
同時にいまの私には「若さがどれほどのものか」ということを間近に見る、いい機会だとも思いました。古い会員のみなさんがが私の山歩き講座に初めて参加された年代ですから。ともかく、彼女は山に来て、空にものすごく惹かれているようでした。
……この写真には、この氷河地形ともいうべき圏谷(カール)の一隅に残った最後の雪も写っていました。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】07時47分=伊藤 幸司=0916
初日に八方尾根の稜線でかなりの存在感を示していたオヤマソバが、ここでもようやく主役の座を狙い始めた、という感じです。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】07時48分=伊藤 幸司=0917
タカネヨモギですかね。日本特産の高山植物だそうですが、私はこれまで視野の中に入っていなかったみたいです。ウィキペディアには「日本固有種。本州の中部地方および東北地方に特産し、高山帯の日当たりが良い裸地に生育する。」とありますから見ていないはずはないでしょう。最近顕著になった「記憶にありません」という身辺整理現象かも。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】07時58分=伊藤 幸司=0919
私とWさんとにとっては最大の難所でした。Wさんと私は同年代で、私はコロナ禍では謹慎期間以外でできる限り糸の会の山歩きを実施してきましたし、Wさんは学生時代からの単独登山をコロナ禍でも続けてきたそうです。
私は職務上シンガリを歩いていますが、Wさんと入れ替わったらまったく同じ状態になるほど、置いてけぼりの状態になっていました。私たちの体力限界をあらわにしてしまったところです。
ちなみに07時45分〜55分と10分間休憩した標高約2,600m地点から、前方に見える白馬三山縦走路の標高約2,700mまでの所要時間はジャスト30分。糸の会の標準速度では「8パワー」(1時間に距離なら4km/h、標準的な登山道なら300m/h)のちょうど半分でしたから、脱落ではなかったのですが、苦しかった、つらかった。前方のみなさんを見上げながら「古希プラス」の2人があえいでいた光景です。(Wさん、ごめんなさい。了承を得ず俎にのせてしまって)

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】08時27分=伊藤 幸司=0928
稜線に出ると、突然、トウヤクリンドウが現れました。奥秩父の金峰山(2,599m)の山頂でも見た記憶がありますが、高い山の稜線で湯上がりみたいな顔つきで現れる花じゃないでしょうか。どこで見てもサイズも雰囲気もほとんど変わらないので、ちょっと尊敬しています。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】08時28分=伊藤 幸司=0930
稜線に出たら、突然、道が平らになりました。まるで「天からのプレゼント」。おつかれさま! といわれているような感謝の気持ちになりました。ただ、最初の山「鑓ヶ岳」に向かっているところなんですよね、私たちは。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】08時29分=伊藤 幸司=0932
糸の会の「先頭10分交代」は短い時間ですがそれぞれの人が自分なりのペースで歩くことも可能です。前の人を追い越さず、10分後に、止まった先頭に追いつけばいいのです。最後尾の(すなわち私の前の)人が次のトップになれば、同じことが繰り返されます。ただ、一点、周囲に迷惑なのは、狭い道ですれ違う人たちに「団体だか個人だかわからない」モヤッとした気分を感じさせてしまうことがあることです。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】08時30分=伊藤 幸司=0934
07時58分の写真で最後尾にいたWさんが、縦走路にたどりついて10分間の休憩の後、08時25分に「鑓温泉分岐」を出たときにはトップに立っていました。
実際には時間にかなりのズレが出たりするのですが糸の会では2013年6月から「10分交代」というシステムを導入しました。それまでは登山講習の常識として講師の私がトップを歩いて、ペースメイクやら危機管理やら、技術指導をしていたのですが、6月25日の「三窪高原」から最後尾を歩くことにして現在に至っています。それから約10年、約800回以上続いてきた(革命的だと自賛している)方式です。
つまりWさんは先頭に立ったら10分間「自分の速度を確かめつつ」速くても遅くてもかまわないので「自分の歩きたいスピード」で歩く権利があるのです。常識的にいわれる「ペースメイク」ではありません。ぶっ飛んでいってしまっても構わないのです。後ろの人は、前の人を追い越さない限り(先頭ほど自由ではありませんが)自分の歩きやすいスピードで歩くのです。先頭が遅ければ全員がゆっくりになりますが、もともと「ペースメーカー」は一番遅い人になってしまって、列のどこにいても全体としてはその人に支配されてしまうのです。
重要な約束は、10分後に全員が再度集まって、(最後尾の私を除く)最後尾の人が前に出るのです。それによって全員が集結して、次の10分に出発するのです。私も最後尾にいながら、先頭の人のルートハンティングに対する指導力を維持することができます。
この「10分交代」にトップ体験は精神的な開放にもつながりますし、リーダー体験の一端ともなり、いちばん重要なのは自分の「歩き方」に対するいろいろな可能性を(すこしずつですが)確かめることができます。
Wさんは筋金入りの単独登山者の風貌を取り戻した、というふうに見えました。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】08時36分=伊藤 幸司=0940
この写真で見る範囲では、登山道の傾斜は約20度です。感覚的に知られている登山道での目安のスピードは「1時間で300m登る」だと思いますが、「平地を時速4kmで歩くエネルギー出力で一般的な登山道を1時間毎に300m登るとすると」という仮説を立てるとすると「時速1km」で歩く、ということになるのですね。計算では17度の勾配ですけれど。
わからない! という方がいらっしゃると思うのでさらに続けると「平地を時速4kmで歩くパワーで標準的な登山道(つまり写真のようなこんな道)を300m登るとすると、水平方向に時速1km、垂直方向に時速300m」となるのです。
さて、問題は歩き方です。前に進むエネルギーの3倍を、体を真上に持ち上げるために使わなければいけないので、1歩前へ踏み出すと、その3倍の体重持ち上げエネルギーがくっついてきてしまします。「前へ、前へ」と進もうとしてはいけないのです。
どうするのか? ひとことでいえば、上に向かって歩くのです。一歩踏み出した足に体重を乗せて、体を真上に持ち上げます。それでエネルギーの3/4を体を真上に持ち上げるために配分できるのです。
初めて私の登山講座に参加した人のほとんどは、登山道の前方(すなわち斜め上方)に向かって踏み出します。周囲のみなさんがおしゃべりしている登り勾配で、自分だけ苦行僧みたいになっていきます。来たことを後悔します。人生を反省します。それよりも今日これからの地獄の山歩きに暗澹たる気持ちになります。私はそういう人を横目で見ながら贖罪の祈りを存分にしていただいて、その後(ニヤニヤしながら)技術的なアドバイスをするのです。「振り出した足のヒザをパクンと後ろへ送りながら、体をまっすぐ上に伸ばすのです」と。「前に進もうなどと考えないこと」と。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】08時49分=伊藤 幸司=0953
チシマギキョウですかね。イワギキョウとの違いを現場で解決しておかないと、あとで困るのですが、今回も。花が上を向いて、花さきに毛がなければイワギキョウとなるんでしょうが、写真だと曖昧さが残ります。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】09時01分=伊藤 幸司=0963
稜線の向こう側、東からの風でガス(山の濃霧)が覆いかぶさってきたり、こんなふうに突如消えたり、変化の激しい天気でした。北アルプスの縦走路には技術的には難易度の高くないところも多く、今回のルートもそのひとつですが、さすが北アルプスの稜線というだけの難問題は風と雨と、そしてこの日は雷。風と雨とは対策のとりようもあるのですが、雷だけはロケット弾と同じです。かすかに聞こえる雷鳴に神経をそそぎ、こちらに向かってくるかどうかを見極め、もし襲われる可能性があったら……と考えると、その後の責任はとても負えません。だから夏の高山地帯では早立ちして早くに小屋に入るという時間帯での安全度を高めておくしかありません。
私は以前、テレビの仕事で親不知(おやしらず)の海岸から登ってくる北アルプス縦走隊を白馬岳山頂で迎えるべく待っていたことがあるのですが、30分ほど前に遠くに聞いた雷鳴が、自動車ほどのスピードでこちらへと向かってきて、その雷雲の端っこで危うくずぶ濡れになりかかったことがありました。白馬岳はじつは雷の通り道だといわれました。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】09時02分=伊藤 幸司=0964
私のカメラには電子水準器がついていますから、ここに写っている山肌の傾斜は正しく写っていると思います。分度器で測ってみると、ほぼジャスト30度の傾斜です。
このあたりの岩石についての解説がヤマレコの「白馬岳とその周辺—地層的な特徴—」にありました。
鑓温泉分岐から———さらに北へ進むと白馬鑓ヶ岳の手前付近で、中新世頃の火山岩類(デイサイト・流紋岩質)に代わります。杓子岳(西側に巻き道あり)もこの火山岩類でできています。流紋岩質のため(シリカ分が多い)、白っぽい色のザクが多い登山道です。———
書かれている内容も、じつは、よくわかりません。「白馬岳付近の地質概要」ではこう書かれています。
———白馬岳を含む白馬三山(杓子岳、白馬鑓ヶ岳)や、小蓮華岳、大雪渓周辺の地質は、産総研「シームレス地質図v2」によると、大きく分けて4つの地質群が分布しています。 それぞれの地質群の詳細は、以降の節で説明します。
a) 「白馬岳層」(ペルム紀 海成堆積層)
b) デイサイト~流紋岩質 火山岩類(新第三紀 中新世初期)
c) 結晶片岩類(「蓮華変成岩」、高圧変成岩、石炭紀~ペルム紀に変成)
d) 蛇紋岩(超苦鉄質岩類、マントル由来岩石)———
たぶん、奥に見えるのが「デイサイト〜流紋岩質」の「白っぽい色」なんでしょうが、私が思わず撮ってしまった手前の黒っぽい岩が何なのかはわかりません。
ただ、この30度の斜面は私の、糸の会の「登山道」に対する重要な存在となっています。富士山の6合目から山頂までの斜面が「30度」であり、そこに建設された「県道・富士上吉田線」(いわゆる吉田口登山道)の1/2,500図面を見ると「30度の斜面に20度の登山道」という設計基準がきっちりと示されているのです。日本の多くの山でも、都会からの登山者の多い山では、「急斜面には約20度のジグザグ道」という共通認識が広がっていると思われます。まさにこの斜面で、私たちはすばらしく歩きやすい「登山道」をたどっているのです。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】09時10分=伊藤 幸司=0967
鑓ヶ岳の山頂まで「あと1分」の写真です。「鑓温泉分岐」から縦走路を歩いて約45分、自然の温度変化や雨や雪氷が規則通りに律儀に作ってくれた小石の道を辿ってきたことになります。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】09時21分=伊藤 幸司=0972
鑓ヶ岳山頂のハイマツです。かつてここにあったハイマツの巨大さがわかります。私が初めて50kgのザックを背負って1か月という合宿に参加したのは知床半島でしたが、そのとき無雪期の知床半島縦走をサポートするために食料を荷揚げし、全くルートのない稜線に目印を付ける作業をしていたのです。この写真で背後に見えるハイマツの緑は、この枯れた太い枝の上に乗っかった状態なので、ハイマツのジャングルを進むには腰の高さのハードルを越えつつ、緑の海を泳いで行くというような感じでした。山歩きなどしたことのなかったモヤシ系の大学1年生はその1か月で人生最強の肉体をもったのです。私の目には懐かしさをよみがえらせる光景でした。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】09時27分=伊藤 幸司=0977
トウヤクリンドウに惹かれるのは、群生よりもこういう「ひとりで生き抜く姿」だと思います。しかも(私の記憶では)人生に疲れたような気配を見せません。いつも適度に朗らかな顔つきで咲いている、と思っています。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】09時29分=伊藤 幸司=0978
「山」とか「岳」と名の付いた地名は、前後にそれ相応の登りと下りがあるわけです。下界から見上げたときにはっきりと見えるサイズの登り・下りですけれど、そこを歩くときの印象はまた違います。「登りつめていく」という一所懸命とはちがって、下りでは開放感が先に来ます。気分が完全に入れ替わって「ここからスタート」という元気モリモリ感なんですね。ちょうどガスの切れ目から風景が飛び込んできたら、何はなくとも「ラッキー!」ということに全員一致!

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】09時35分=伊藤 幸司=0983
下り斜面にはトウヤクリンドウの群落がありました。登りの斜面と比べるとこちら側は土壌化が進んでいるということでしょうね。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】09時36分=伊藤 幸司=0987
トウヤクリンドウのクローズアップですが、まあ、意味のある写真かどうかはわかりません。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】09時40分=伊藤 幸司=0992
鑓ヶ岳の北斜面にはトウヤクリンドウのお花畑が広がっていました、というべきでしょう。私はひとり佇むトウヤクリンドウが好きですが、この「トウヤクリンドウたち」の元気の良さも「見られてラッキー」でした。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】09時40分=伊藤 幸司=0993
最近娘が陶芸作家の陶盤に乾燥に強い植物を貼り付けて壁飾りにするという作業をしていますが、それを標高2,900mの稜線で見つけた感じです。だからどうしてもこの花の名前を調べなくっちゃならないのですが、いわゆる「セリ科のどれか」なんですね。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】09時40分=伊藤 幸司=0994
その「セリ科のどれか」をグーグルレンズで調べてみたらイブキボウフウが出てきました。するとその親戚筋のタカネイブキボウフウのそっくり写真が出てきました。触覚の長い虫が密を吸っているんでしょうね。脱線して調べてみると、ハチ類とハエ類は高山植物と濃密な関係を持っているようですね。冬をどう過ごすのか知りませんが。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】09時40分=伊藤 幸司=0995
これが(たぶん)タカネイブキボウフウの熟年の表情だと思いましたが、あとでこれは「蕾」の状態だとわかりました。またタカネイブキボウフウの写真をあれこれ見ていくと、白馬岳にも唐松岳にもあるので、その中間のこの稜線にあって当然とわかりました。白い花とこの色の花が同時期に同じ株にあるという写真もありますから、もうまちがいありません。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】09時41分=伊藤 幸司=0996
改めて写真0994のアップですが、タカネイブキボウフウの花の青春期なんですかね、これは。シシウドに代表されるシソ科の高山植物のなかで、このタカネイブキボウフウはちょっと特異な顔つきなのかな、と思いました。日本アルプス核心部登山ルートガイドのタカネイブキボウフウには「高さ20~50cmの多年草。つぼみは紅紫色で、開花に伴い白くなる。花は複散形花序で、頂上の花が最も大きいのが特徴」とのことです。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】09時42分=伊藤 幸司=0997
タカネイブキボウフウが生きているのはまさにこういう岩稜の岩陰……かと思って写真を見直すと、トウヤクリンドウとタカネイブキボウフウを同じ「09時40分」に撮っているんですね。しかも驚くことに3分前の「09時39分」の写真を見ると、その3分間にこんなドラマチックな写真体験をしたなんて想像もできません。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】09時47分=伊藤 幸司=1001
道際にトウヤクリンドウが一株。私の好きな光景です。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】09時54分=伊藤 幸司=1002
ミヤマアケボノソウですね。見た目でそう決めましたが、グーグルの写真にはこの稜線にこの花があると確認できるものがありました。ウィキペディアにある「花冠裂片には濃紫色の7脈と細点があり」「雄蕊は5個あり、花冠より短い」という特徴はこの写真からも確認できます。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】09時54分=伊藤 幸司=1003
念のため、ミヤマアケボノソウのアップです。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】10時00分=伊藤 幸司=1007
この日は白馬三山の鑓ヶ岳(2,903m)→杓子岳(2,812m)→白馬岳(2,932m)と歩くのですが、眼前に杓子岳が現れました。三山縦走であれば当然杓子岳の頂上を踏みたいところですからその可能性を残しておきましたが、中腹に見える巻き道で杓子岳を抜けることにしました。
そのとき私が引っかかっていたのは鑓温泉小屋から稜線縦走路の「鑓温泉分岐」まで、標高差約700mに3時間半かかったということでした。糸の会の計算法では「17パワーの登り」で約2時間、かかった時間から休憩時間を外すと3時間ですから一般的なコースタイム「3時間」に30分の休憩を加えた「標準的」的なコースタイムで登りきった、のではあるのですが、糸の会としては登山道が「標準的なもの」より「きつかった」といえるのです。そして最高齢グループの私たち男性2人がいくぶんかペースを落とすことになったのも加わりました。私自身、最後はイッパイ、イッパイの登りでした。
じつは2008年9月27-29日の白馬三山では鑓温泉小屋から稜線までを3時間10分で登っています。鑓温泉小屋が営業を終えて解体する直前で、稜線手前からは白銀の世界でした。その時は足元の危険ということで巻き道を選んだのですが、今回は杓子岳に登るとあまりにもしんどいことになるという限界感で巻き道と決めたのです。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】10時35分=伊藤 幸司=1015
杓子岳を巻いた、といっても、それから次々に、縦走路には小さなコブが現れました。親分の白馬岳に登り始めたかと思うたびに下るのです。かなり濃いガスに巻かれて、先が見えないのがラッキーなのか、アンラッキーなのか、私だけがバテ気味なのでそう思うのか、という時間が長く続きました。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】10時49分=伊藤 幸司=1020
2008年9月の写真を見ると、冬に向かう北アルプスの景色を楽しみながら歩いています。今回は悪天候ではありませんが、振り返れば邪悪な天気のようにも思われます。ちなみにその時の2人が今回も参加してくれました。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】11時08分=伊藤 幸司=1026
周囲は何も見えないけれど、歩く邪魔をするものはありません。私が最後尾でこの3人を撮っているということは、5人が先を歩いているということです。糸の会の「先頭10分交代性」はすれ違う人たちにはちょっと批判的に見られるかもしれないと思いますが、グループのペースが基本的に一番遅い人のペースになるという大原則から逃れるベストな方法だと思っています。
いかなる場合も先頭に立った人がペースメーカーではないのです。だから先頭の人には、速いにせよ、遅いにせよ、「自分にとって気持ちのいいペース」を探ってもらいたいのです。そして10分後にはストップして、最後尾が追いつくのを待って、その最後尾の人をトップに迎えるのです。
するとどうなるか、全員がびっちり並ぶこともあれば、10分間分バラバラになることもあります。私はそれを見ながら、皆さんのその日の調子を判断することができます。もし誰かが遅れても、10分経ったら先頭はストップして、最後尾の人が次のトップになるのですから、全員の平等感を失わずに「10分」ごとにリセットされます。(ただしその「10分」は腹時計に近いかもしれません、けれど)

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】11時17分=伊藤 幸司=1027
この花が、こういうふうに見えたのは初めてです。どんな場合にも「ひとりひとり」がもっと主張しあっているはずだと思いました。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】11時17分=伊藤 幸司=1029
アップにしてみたら、どんぐりの背比べみたいなトリカブトの花でした。けれど、トリカブトといっても種類によって雰囲気がだいぶ違います。まあミヤマトリカブトというところでしょうが「四季の山野草」というサイトによると栂池自然園には2種類ある、とのこと。———2016年8月中旬に訪問した際、ビジターセンタの方に尋ねた所、栂池自然園入口の小さな囲みにある数株のトリカブトは隣り合わせでヤチトリカブトとミヤマトリカブトが並んで咲いていることがわかった。———

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】11時21分=伊藤 幸司=1031
登山道の真ん中に大きな石が頭をもたげていて、その周囲をイワツメグサが埋めていました。5弁の花なのに10弁に見えるという小細工が有名。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】11時22分=伊藤 幸司=1033
お花畑が広がっている、という雰囲気になりました。私たちは今回の主役、白馬岳に向かっているというのに、なかなかその気分になりません。アプローチが長いと感じながら歩いていましたね。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】11時23分=伊藤 幸司=1035
見頃のタカネナデシコですね。尾瀬マウンテンガイドによると至仏山にたくさんあって「7月中旬から下旬が見頃」だそうですが、それよりも「花だけではなく葉の形も変わっていておもしろいですよ」とのこと。私はまだ葉まで見ることができていませんね。半世紀前にはその日見た花を列記する努力をしていましたが、その時でも「葉」を記録するレベルには届きませんでした。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】11時29分=伊藤 幸司=1036
糸の会では、最初から20年近く、私が先頭を歩いてその日目にしたものをできるかぎり写真にとって、次回みなさんに見ていただくようにしていました。いまは最後尾にいて「一瞬止まって写真を撮って追いかける」という動きになりましたが、今回のライチョウやらオコジョやらは前方で騒いでるのに追いついたら、もうなにもない、ということになりました。これはみなさんがもう撮り飽きたあとのライチョウ。だいぶ時間をかけてやっと撮ったので、このあと皆さんを追いかけるのにひと汗かきました。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】11時33分=伊藤 幸司=1039
ハクサンフウロです。タカネハクサンフウロが正確だと思います。むかし、この花が高貴な顔つきに見えていて、雌しべを極端に伸ばしていくグンナイフウロをちょっと下品と感じていた時期がありました。でもその後これが「タクサンフウロ」となって、いつしか目に入らない存在になってきました。今回の白馬三山は新たな気持ちでの出直しという気分ゆえか、ハクサンフウロが昔のように目に飛び込んできたんだと思います。写真としていいかどうかはともかく、私の記憶をよみがえらせるワンカットになりました。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】11時33分=伊藤 幸司=1041
カンチコウゾリナです。黄色と黒の二色の色使いの花は印象に残ります。野生植物図鑑によると———本州の高山には「コウゾリナ」とつく植物が2種類あって、同じような環境に生え、ふんいきも似ていて区別しにくいものの一つです。見なれるにつれ、カンチコウゾリナの方が全体に大きく、とくに頭花はミヤマコウゾリナのそれよりも大きくて1.5倍ほどあることや、茎に密生する毛がミヤマコウゾリナでは白く、カンチコウゾリナは黒いことで、いずれかわかるようになってきます。カンチコウゾリナはコウゾリナの高山型でコウゾリナ属ですが、ミヤマコウゾリナはミヤマコウゾリナ属に分類されます。———

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】11時41分=伊藤 幸司=1046
11時38分に「丸山」という標識を通過しました。地形図の、標高2,768mの無名峰がそれで、もうほとんど白馬岳の裾野に入った気分のところなんですが、道はまだこんなふうに延びていました。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】11時46分=伊藤 幸司=1050
丸山から8分後ですね、足元に村営の白馬岳頂上宿舎がありました。今は白馬館の白馬山荘が定員800人、この白馬岳頂上宿舎が416名、となっています。が、昔とは違うぞ、と思って「村営頂上宿舎・昔の宿泊施設・定員」と検索してみたところ、なんと私の軽登山講座039が出てきました。
1996年7月27日(土)に———7月下旬の週末は当時、1年でいちばん山小屋が混む日とされていた。その特異日にあえて一番人気というべき白馬岳を選んで、18人という少なからぬ人数で登っていったのだ。——— ———白馬岳山頂直下には1,500人収容の白馬山荘と、1,000人収容の村営頂上宿舎とがある。合わせて2,500人という巨大な「小屋」が用意されているわけだ。おそらく満員……ということはわかっていたから、予約なし、どちらに泊まるかも現地で右往左往して決めるとしておいた。———
ずいぶん乱暴な話ですね。自分で言うのもナンですが。
———最も混雑する日だけに、白馬の大雪渓から渋滞だった。その大行列の監視にあたっていたグリーンパトロールの人によると、午前11時に登山者は宿泊定員の2,500人を突破、夕方までの合計は5,000人をオーバーしそう、とのことだった。———
このときの私の計画はさらに大胆でした。
———白馬山荘の受付にようやく並んだ。山小屋の混み具合は、普通、宿泊人数では見当がつかない。混めば食堂だって寝室スペースに変わるからだ。慣れた人はだから食事回数を見る。それを「○回戦」というのだが、行列のほとんど最後尾を登ってきた私たちの夕食は「8回戦」午後9時50分からの夕食と示されていた。
じつは受付は個人個人でやると決めておいた。18人で申し込むとその日は布団5枚の配分しか受けられない。1畳に2人(JIS規格によるテントの就寝スペースがその由来ではないかと思う)が定員なので、倍の人数が泊まるとなれば1畳に4人のはず。受付にそのことがズバリ! 表示されていた。
「本日の予想 畳1枚に4人以上 皆様でうまく協力しあって下さい。よろしくお願いします」———
話はまだまだ続きますが、この辺で。かつて定員1,000名で現在416名の村営の山小屋が足元にありました。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】11時48分=伊藤 幸司=1051
村営の白馬岳頂上宿舎を足元に見てから2分後にこの分岐に出ました。真っすぐ行けば白馬山荘を経て白馬岳山頂。右に下ると有名な白馬大雪渓です。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】11時54分=伊藤 幸司=1056
これが白馬(しろうま)岳開発者とされるヤマキ旅館の跡取り息子・松沢貞逸が16歳のときに建てた山小屋の現在の姿。株式会社白馬(はくば)館によると———以来、山小屋の増設、貸切自動車業、登山案内人組合の創設、と次々に事業を広げていった。———とのことです。
それはそれとして、大雪渓への分岐点からの最後の登りがきつかった、ですね、最年長組2人にとっては。8分間、必死に歩きました。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】12時06分=伊藤 幸司=1061
計画では11時白馬山荘到着でしたが、けっきょく1時間20分早く出発して1時間遅れで到着。言い訳っぽくなりますが、休憩時間合計が1時間10分でしたから、それで登山地図のコースタイムと比べると5時間50分+休憩に対して私たちは6時間20分+休憩。高齢者チームとしてはまだまだ歩けるという数字です。ただ、私はほぼ失格。自分が歩くだけでほぼイッパイ、イッパイでしたから。
さて、昼食ですが、この時間帯の食事はこの「スカイプラザ白馬」だけ、ということでとりあえず飛び込みました。これが標高2,900mの本格的レストランとしてオープンする直前、接客テストのモデルとしてビフテキを食べさせていただいたことがあります。テレビ朝日の北アルプス完全縦走企画のサポートに入っていたのです。そのときには白馬山荘はホテル化も目指していて、この建物は宿泊者の食事から切り離されてキラキラと輝く雰囲気がありました。……けど。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】13時13分=伊藤 幸司=1062
「スカイプラザ白馬」でゆったりと食事をして、1時間後に白馬山荘に。わたしの、何度か宿泊した記憶からしても、木造のフツーの山小屋であることにちょっとびっくり。1,500人以上を受け入れたときにもこんな玄関だったのだろうかと、びっくりしました。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】13時51分=伊藤 幸司=1070
館内を一巡りして、私はそれから昼寝をしました。じつは食後の山頂往復も、(希望者があればという)大雪渓上部のお花畑散策もなくなりました。午後からドラマチックに天気が崩れたこともあって、みなさん外へ出る気もなくなり、やることもないので昼寝、というのが全員の選択になったのです。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】16時57分=伊藤 幸司=1072
食事は17時から。さすがにお盆休みを過ぎるとガラガラですけれど、昨日の鑓温泉小屋では私たちとほかに数人が1回目の食事に入れませんでした。今朝の朝食も30分遅れの「2回戦」と聞いたので、朝食には弁当をもらって出発時刻を早くしたのです。それには日の出もからんでいて、小屋での朝食なら5時10分の日の出を見てからの出発ですし、弁当朝食なら日の出1時間前に無灯火で出発できるので、どこかでゆっくり日の出を見られるという計算に切り替えたのです。(あまりいい場所を見つけられませんでしたが)
ところが白馬館チェーンの鑓温泉小屋が混んでいたのに、本店の白馬山荘がガラガラなのはどうしてか? この時期には大雪渓はかなり痩せて、雪の消えた夏道が、じつは歩きにくかったりして、もうピークシーズンが終わっているのです。だからわたしたちは、のんびり、ゆったりの、昼食と夕食を楽しめたというわけです。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】18時30分=伊藤 幸司=1076
先に写真の説明をしておくと、これは白馬(はくば)山荘から見上げた白馬(しろうま)岳の山頂です。中間に見える石碑は「松沢貞逸顕彰碑」です。
じつは昼食後わたしたちはずっと雨に降られていて、山頂にもいかず、昼寝で時間を潰していたのです。夕食時にもまだ雨雲の下にいたので、時間つぶしに長いミーティングをしていたのですが、突然、外が騒がしくなって、雨が上がったとわかったのです。飛び出して撮ったのがこの写真です。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】18時31分=伊藤 幸司=1080
この日の長野県での日没時刻は18時29分、富山県で18時33分でしたから、部屋を飛び出した私たちはかろうじて日没に間に合ったともいえるでしょう。18時30分の山頂写真では落日の光線が射していたのに、白馬館の前庭はこの時点でもう日陰状態になっていました。でもラッキーなことに雲間に剱岳が見えていました。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】18時32分=伊藤 幸司=1083
すぐに剱岳方面の雲が晴れてきました。ここに写っているのは剱岳(2,999m)、左に立山三山の別山(2,880m)、さらに左、雲に隠れているが立山三山の大汝山(3,015m)と雄山(3,003m)のはずなんですが、なぜか剱岳がダントツに高く見えてしまいました。私は首が2度ほど曲がっているので写真の水平が狂うことが多かったのですが、電子水準器が内蔵されたカメラを使うようになって、絵柄より水平に気を使っているので不思議です。でも、白馬岳から剱岳を撮った写真をいろいろ見ると、どれも剱岳が高く(大きく?)見えるようです。

白馬岳、白馬三山
3日目【撮影】18時32分=伊藤 幸司=1088
私たちは待ち構えて日没を見たというふうにはいかなかったけれど、日没風景のなかにいて、ドラマチックな体験をしたのはたしかです。ラッキーでした。すぐに寒くなってきたけれど。
この写真をよく見ると、先頭の人たちの向こう、雲の中に杓子岳があって、その向こう側から小さな凹凸をくりかえしつつ、こちらに向かっていったん下がり、登り返して画面右端、剱岳の手前に見える丸っこい丸山にたどり着いたのです。その足元に村営白馬岳頂上宿舎の赤い屋根が見えています。



4日目(8月24日)


白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】05時00分=伊藤 幸司=1108
朝食前に山頂に向かいました。振り返ると美しさで日本有数の双耳峰・鹿島槍ヶ岳(標高2,889m)が見えました。手前には杓子岳があって昨日歩いた巻き道(画面右端です)も見えています。鑓ヶ岳→鑓温泉分岐から、不帰嶮を越えて唐松岳→五龍岳まで行き、八峰キレットを越えると鹿島槍ヶ岳になります。糸の会では唐松岳と五龍岳、鹿島槍ヶ岳はそれぞれ何度か登っていますが、不帰嶮と八峰キレットは遠慮させていただきました。杓子岳と鹿島槍ヶ岳の間にはそういう体験が残されています。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】05時03分=伊藤 幸司=1112
富士山も見えました。ラッキーでした。手持ちですからブレも入っていますからお金になる写真は撮れませんが、双眼鏡を持つことがなくなりました。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】05時04分=伊藤 幸司=1114
この日、長野県での日の出は05時11分でした。ほぼ標高3,000mからですから県庁所在地の計算上の時刻とは違うはず。さらに現実には地平線からではなく、山があったり雲で遮られたりして数字どおりにはいかないはずです。ですが、目安として腹が立つような誤差は感じません。この写真は、今朝はラッキー! 日の出が見られる! という確約の瞬間。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】05時08分=伊藤 幸司=1118
地上側の雲と、その上にある雲との間に、薄い雲があるかもしれない、という不安も生じてきました。しかし朝焼けの空がちょっとそんな素振りをしているだけかもしれません。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】05時09分=伊藤 幸司=1120
太陽がいよいよ顔を出しました。「朝の光」がここまで届く直前に1枚撮っておくことが必要です。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】05時10分=伊藤 幸司=1130
世界が夜から朝へと大きく動く瞬間だと思います。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】05時11分=伊藤 幸司=1135
気がつくと、槍ヶ岳が見えていました。本物の槍ヶ岳。今や上高地を午前中に出て、山小屋に2泊すれば誰にでも登れる山になりました。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】05時12分=伊藤 幸司=1136
白馬岳山頂の朝景色。大きな構造物は新田次郎の『強力伝』に出てくる方位盤(風景指示板)です。花崗岩で3つのパーツに分かれ、合計187kgとか。それをひとりで運び上げたのが富士山の強力(ごうりき・荷揚げ人夫)の小宮山正さん。昭和16年(40歳)の出来事をモデルにした小説です。ちなみに私が富士山の強力さんに話を聞いたときには、富士山の強力は60kgを背負っていたということですから、代表選手として小宮山さんが運べない重さではなかったかと思います。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】05時13分=伊藤 幸司=1137
日が昇るにしたがって、影富士ならぬ影白馬が富山湾の方に出ていました。まあこれは特別珍しいことではありませんけれど。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】05時14分=伊藤 幸司=1138
ふたたび剱岳です。朝日が剱岳から立山連峰にスポットライトを当てた瞬間という感じです。これが白雪に覆われた時期ならばみごとなモルゲンロート(朝やけの赤)になったかと想像されます。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】05時15分=伊藤 幸司=1139
山頂に立つと、昨日歩いた稜線が眼下にありました。左手前が杓子岳で、その先に鑓ヶ岳があって、鹿島槍ヶ岳の双耳峰がずいぶん遠くに感じられます。昨日、丸山までの(小さいけれど)思いがけないアップダウンはけっこうな断崖絶壁の縁だったんですね。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】05時16分=伊藤 幸司=1141
写真としては……、ですけれど、帰りがけにまた富士山が見えました。光線の加減で山体が浮かび上がって見えたんだと思っています。左側の山並みは八ヶ岳です。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】05時17分=伊藤 幸司=1142
時間が経つにつれて、天気はどんどん良くなる気配、この写真では右手奥に浮かび上がっているのが剱岳〜立山連峰。その左奥に槍ヶ岳〜穂高岳の稜線が見え始めたようです。また白馬山荘の右上に、村営白馬岳頂上宿舎の赤い屋根も小さく見えています。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】05時31分=伊藤 幸司=1147
今朝、何度も撮ってきた剱岳〜立山連峰の写真ですが、この写真のオリジナル画像を拡大してみたら、手前の低い山並みのちょっと上部に、ほぼ水平に人工的な線が見えました。「ひょっとして?」というレベルで確信はないのですが、調べてみると黒部川の下ノ廊下と呼ばれるこのあたりには「落ちたら死ぬ」という断崖絶壁をコの字型に切り込んだ「歩道」があるのです。黒部ダム建設のため富山側から開かれた資材搬入ルートです。現在も関西電力の巡視路だそうですから現役ですが、正確にいうと、私たちが2004年8月22日に歩いた阿曽原温泉小屋から黒部峡谷鉄道・欅平駅までの「水平歩道」は写真のもっと右側で、この写真の範囲はそれより上流側、黒四ダムまでの部分です。黒部峡谷の下ノ廊下をたどる「旧・日電歩道」となるようです。位置関係から見て、ここに写っている水平の筋が人工的なものならアタリでしょうが、深い峡谷の壁ですから、手前の山越しに見えるというのが最大の不自然さ。たまたま地層に刻まれたスジかもしれません。念のために次にこの写真の拡大画面を載せておきます。ご存知の方のコメントをいただければ幸いです。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】05時31分=伊藤 幸司=1147b
前の「1147」写真のクローズアップ。上級者向け登山ルートなっている「旧・日電歩道」であるか、ないか、ご存知の方があれば、この写真にコメントをいただきたいと思います。私たちが体験したこの下流部分の「水平歩道」とあまりにも似ていますので。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】05時37分=伊藤 幸司=1149
朝食は5時からOKでしたが、日の出を見てからということで30分ほど遅れました。昨日、朝食を弁当にして早立ちしたお陰で午後の激しい雨に降られずにすんだというので、メンバーの多くが今朝も弁当で早立ちすると思っていたらしいのですが、昨日は宿に着くのが遅かったために割り当てられた朝食時間が遅くなったので、逆手をとって弁当にしたのです。今日は午前中にラクラク樹林帯に逃げ込めるので、雷に対する警戒レベルはうんと下がります。早飯の必要はないのです。
それよりも、昨夜の弁当ですが、もらってすぐにご飯もおかずも全部まとめてポリ袋に入れて丸めたら、大きめのおにぎり1個になってしまいました。だから昼に白馬山荘に着いたときには腹ペコ状態。みなさんも同様だったらしく、悩みつつ選んだのはみなさん、ヘビーな昼食だったと思います。
山小屋の印象でウエートの大きいのはメシです。「おいしい」は期待しないとしても腹いっぱい食べられるかどうかがひとつの基準です。たとえおかずが少なくても、ご飯と味噌汁をおかわりして、気持ちよく「ごちそうさま」と言えればまず合格、という基準かと思います。昔と違っていまは客が増えれば増えた分だけの食材をヘリで運べるし、冷蔵庫はないとしても、冷凍庫とガス調理器が当たり前になりました。食事に気を使う山小屋なら、街の食堂ぐらいのメシは出してもらえるはずなのです。金峰山(きんぽうさん)小屋のように昔風の不便さでも、じつは人気のレストランというような小屋もありますからね。白馬山荘の食事代は夕食が2,500円、朝食(弁当も)が1,500円ですから、標高差の2,900m分を差し引くとしても、スレスレだったかな?

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】06時27分=伊藤 幸司=1155
いよいよ、出発です。まずは再び山頂へ。気分は、これが「最後の登り」ですけれど。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】06時46分=伊藤 幸司=1160
5時12分の写真に書いてしまった山頂の、80年前に小宮山正という人がひとりで担ぎ上げたという花崗岩の方位盤。何人かの人がその台座に寝転がってみてくれました。できれば頭をすこし下げてもらいたかった。まったく違う世界に入ることができる……かもしれないので。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】07時03分=伊藤 幸司=1172
山頂を背にしてからも、また凝りずに剱岳を撮りました。ところが、ところが、今回はさんざん探していたものが見つかったのです。
剱岳の左下の肩に小さな突起がありますが、前剱(2,813m)です。そこから下って武蔵谷の鞍部(武蔵のコル)から登り返したところが一服剱(2,618m)そのまま画面左手に続く尾根をたどると(現在は通行禁止のようですが)三角点のある剣御前(2,777m)があって、その左にある2792mの高まりを剱御前山と呼んでいるようです。
ししてその剣御前山から下ったところに白い塊がありますが、消え残った雪渓です。その雪渓の上に(オリジナル画像には)小さな白い壁面が写っていました。それが剱御前小舎でした。オリジナル画像では建物がそこにあるとはっきり見えています。
じつは2004年8月19日の夜、台風15号が日本海を北上して、私たちが泊まっていた剣御前小舎は床が浮き上がったように感じたそうです。翌日「台風一過」かと思ったら天気が静まらず、私たちは剱沢を下って、仙人池から水平歩道へと向かったのです。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】07時05分=伊藤 幸司=1173
素晴らしく立派な登山道だと思いませんか? ほんのちょっと登ったらガン、ガン、ガン、と下って、たぶん左下に見えている道にまで下るのでしょう。白馬岳に登ったら、この道を下りにとる人が圧倒的に多いのではないでしょうか。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】07時08分=伊藤 幸司=1176
いよいよ下りになりました。この感じからすると、正面に立ち上がってきたのが小蓮華山(2,769m)のようです。昨日と同じく、東側というか、南側からどんどん雲が湧き上がってくるみたいです。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】07時13分=伊藤 幸司=1177
こんな端正な顔つきの道を見ながら考えるのも妙ですが、山を構成する岩はそれぞれ勝手にひび割れして、砕石になっていきます。岩や石にはそれぞれの生い立ちによる構造的な弱点があって、温度による伸び縮みや雨水の侵入、冬の寒さで内部の水分が氷となって膨らむときに崩壊させられるというような天然現象で石は細かく砕かれていくのです。その石が転がり落ちながら自然の法則に従って斜面をつくり、そこに生えた緑が土を作り出していくというわけです。だいたい、ここにこんな高まりができたのは、地球を漂う大陸があっちこっちから押し寄せて、押し上げられたり、内蔵物を噴出させられたりして、ここなどは右手に「糸魚川—静岡構造線」と呼ばれる日本列島の大きな接合部分で、北アメリカプレートとユーラシアプレートとが押し合う断層に由来する地形のようです。あまりにも初歩的な地理学ですが、こんなシンプルな尾根道を歩いていたら、そんなことを感じてしまいます。
じつはたぶんそのお陰のひとつだと思っているのですが、糸魚川—静岡構造線の脇にそびえる北アルプス稜線の山小屋では、晴れて夕日が落ちるときに東側からガスが上ってくるときにはブロッケン現象(ご来光、御来迎)が見られるはず、だと考えて待ち構えるのが常識です。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】07時16分=伊藤 幸司=1178
前方の小蓮華山(2,769m)へと至るルートが見えてきました。ダブルストックによって、北アルプスでも一般ルートであれば、女性の安全性をこまかく心配する必要はなくなりました。前傾姿勢によって重心をつま先に置くことで、下りの安全性は驚くほど向上するのです。私はメンバーの様子をおおまかに見ています。どこかに「疲れ」を感じたらリーダー権限で休憩をとる、といったことで、安全はかなり確保できると思いました。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】07時20分=伊藤 幸司=1181
クロトウヒレンが咲いていました。名前の黒はどこかというと、つぼみが黒いんだそうです。トウヒレンとは何か、というと「塔飛廉」だの「唐飛廉」だの、飛簾はアザミということのようですが、まずは飛簾は中国で風の神とか。またけったいな空想上の動物とか。そして俳句の季語で飛簾はアザミなんだそうです。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】07時34分=伊藤 幸司=1185
標高2,751mの三国境が稜線上にありますが、これはその30mほど下になります。ここまでは長野県と富山県の県境をたどってきたのですが、ここからその間に新潟県が入り込んできます。私たちはまっすぐ、長野県と新潟県の県境を進みますが、左手に伸びる道はほぼ、富山県と新潟県の県境をたどって朝日岳(2,418m)に。花の豊かないいルートですよね。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】07時37分=伊藤 幸司=1189
これは北アルプスのトラバースルートではよくある感じの道ですが、それにしても出来過ぎですね。しかも若干の下り道、ルンルン気分で歩きました。なお、ここでずいぶん遅れているのは、三国境の分岐で道標を3つ撮っていた数分間ぶんの距離になります。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】07時46分=伊藤 幸司=1191
平坦な道からこれぐらいの登りまでだとストックはあまり役に立ちません。かといって持ち歩くのもシャクだし、手に負担感がありますから「使っているフリをしてください」と指導してきました。リズムを崩さないように。
それ以前は「登りではストックに頼らずに」といって軽い登りでバランスアシストのために使うのを制限したのです。むしろ北アルプスの岩稜の登りのように段差の大きな急で危険な登りでパワーアシストに使うことの重要性を説いたつもりでしたが、失敗でした。世の中の多くのストック使用者(ポールという人も多いですね)が(ベテランたちでも)パワーアシストとバランスアシストの機能分担を自覚しないまま使っている例をみると、説明しにくいところなんだと痛感します。登りでストックを前方に突く人はみな「1本杖」「2本杖」という使い方なんだな、と感じます。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】07時53分=伊藤 幸司=1194
小蓮華山への登りにかかりました。ゆるい斜面では登山道はほぼ真っすぐ登っていきますが、傾斜が急になるにしたがってジグザグになって登る角度を緩めようとします。そこに登山道を整備した人の感覚が示されているわけですが、もっと想像を逞しくすれば、都会からやってきた脆弱な登山者の「足」を想像しつつ、歩きやすさや、ガスっても、夜間でもたどりやすくしたいとか、道としての保存性の高さとか、いろいろ考えながらルートを設定したんだろうな、と思うのです。もともと山を仕事場にしている人たちは現在でもまっすぐ登って、まっすぐ下るほうが楽だといいます。植林事業や狩猟の人たちは30〜40度の急斜面で勝負しているわけですが、登山道でその勾配のところにはクサリやロープが設置されます。
さて、この場面でみなさんのストックワークを見ていただくと、ストックが体の前方に出ています。平坦な道で、両手を自然に振って、ストックを「使うフリ」をするという延長だと思うのですが、このままだと登りでストックを前に振り出す「バランスアシスト」になりかねません。そのことを放置してしまった私の、後悔が「登りのストックワーク」にあります。
私がダブルストックの、下りでの絶大な効果を発見して初級の山歩きから最重要装備としたのとは別に、登りでの本来の使い方を体感していただくには躊躇がありました。手を使いたくなるような急斜面や大きな段差で体感してもらわないとなかなか理解してもらいにくいと考えて控えているうちに、ごく一般的な理解というべき「ストックを使うと楽に登れる」ということに歯止めがかからなくなりました。杖の使い方なんですね、スキーで斜面をバタバタと登る体験などした人は完全に少数派です。「ストックに頼らずに脚力を使ってください」というあたりを徹底できなかったことになります。ストックを使うときの「バランスアシスト」と「パワーアシスト」の割合を変化させる、ということを徹底できませんでした。その結果、私の理想とする「ゆるい上りでのストックワーク」のお手本になる人は、まだひとりもいないのです。前から4人目、今回始めてストックを使ってもらった娘の使い方のところから、あとひといき「Vの字にしてかかとのあたりから押し上げる」という動作の有効性を実感してもらうにはそういう登りの場面が必要です。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】08時03分=伊藤 幸司=1200
小蓮華山への途中から振り返ると、白馬岳の山頂だけが、特別に顔を出してくれたという感じで見えました。1時間ちょっと前に、わたしたちはあそこに立っていたのです。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】08時05分=伊藤 幸司=1202
私たちは単純に小蓮華山(2,766m)登っているという気分でしたが「なんだ、また山がある」という気分です。地形図には2,719mの無名峰があって、そこから小蓮華山の「2,763.4mの三角点」に向かってさらに登っていくのです。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】08時11分=伊藤 幸司=1204
気持ちのいい稜線上にようやく小蓮華山の山頂が見えてきたようです。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】08時14分=伊藤 幸司=1205
やれやれ、ようやく山頂だ、という気分。この写真で感じるのは右側(南東面)がいかにも崩れやすそうな感じがする一方、冬に風雪が吹き付けるはずの北西面が緑によって安定化しつつある……かのように思われます。
国土地理院の地形図によると山頂にあって長野・新潟県境を示している三角点の2,763.4mがあり、そのすぐ脇に2,766mの水準点があります。さらに第三の標高として2,769mがあるのですが、ウィキペディアの「小蓮華山」によると、———小蓮華山の標高は、以前は2,769mであったが、2007年(平成19年)夏に山頂部分が崩落しているのが発見された。三角点の標石も落下していたため、国土地理院は2008年(平成20年)秋になって新たに三角点を設置し、測量し直した。その結果、崩落後の最高地点の標高は2,766mであることが分かった。——— じつは山の高さを、頂上付近に設置した三角点で表記するのではなくて、本当の高さにしようというプロジェクトがあって、1991年に国土地理院から『日本の山岳標高一覧』という報告書が刊行さています。国土地理院をやめて日本で最初のフリーランスの雪氷学者となった五百沢智也さんが国土地理院の「山の高さに関する懇談会」の委員長となって標高2,500m以上の山について検討を行い、航空写真測量によって新しい標高を求めたものです。それが小蓮華山の標高2,766mだったのです。ウィキペディアの解説はその後の展開ということになります。
初めて知ったのですが、この山は新潟県の最高峰なんですね。その山頂はおそらく、たぶん、今後も崩落する危険を多いに含んでいるみたいです。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】08時18分=伊藤 幸司=1206
小蓮華山の山頂から、再び白馬岳を振り返りました。あいからず雲の中から顔だけ出してくれているという感じ。オリジナル画像で見ると登山者の姿はひとりだけ見えています。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】08時20分=伊藤 幸司=1210
小蓮華山の山頂から白馬岳山頂を見ています。なぜかずっと、雲の隙間に見えたり、消えたり……という状況が続いていました。ずいぶん長い間、白馬大雪渓から雲が上ってくる状態が続いているという感じでした。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】08時23分=伊藤 幸司=1211
これは右手の妙高山(2,454m)から左の火打山(2,462m)、焼山(2,400m)まで。紅葉の素晴らしいところですね。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】08時28分=伊藤 幸司=1216
小蓮華山での記念写真。なぜここに巨大な鉄剣が立てられているのかわかりませんが、ウィキペディアには「大日岳とも呼ぶ」とあります。加えて「頂上には鉄剣が立っている。以前は石仏を祀る祠も立っていたが、山頂部崩落により失われ、頭部が欠損した石仏のみが残る。」とのこと。
そこで新潟県の「大日岳」を検索してみると、飯豊連峰の大日岳(2,128m)と八海山(1,770m)の大日岳が全国区で、小蓮華山の別名・大日岳はネット上で見つけることができませんでした。……ひょっとすると、宗教登山の対象として出てくるかなと思ったのですが。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】08時31分=伊藤 幸司=1217
これはイワギキョウですね。萼片が細く鋭く上方に伸びています。花弁に毛もありません。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】08時32分=伊藤 幸司=1219
イワギキョウは高山帯の岩礫地や草地に生えるとされていて、まさにこれが我が家ですかね。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】08時32分=伊藤 幸司=1220
ウサギギクも我が家を手に入れたようです。茎をまっすぐに伸ばすというところが独特の雰囲気を作り上げているうえ、うさぎが耳を立てたような葉が、下界では見られない個性派となっています。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】08時32分=伊藤 幸司=1221
ウサギギクの花について「三河の植物観察」ではこう説明しています。———黄色の頭花が1個ずつ茎頂に上向きにつく。頭花は直径3.5~5㎝、筒状花の周りに舌状花が並び、舌状花の先は3~5裂する。———
黄色い舌状花の枚数はここでは9枚のように見えますが、どこかに「7枚以上」と書かれていました。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】08時34分=伊藤 幸司=1222
これはヤマハハコですね。「二人の館」には———白い花弁に見えるのは総苞片で 乾いた膜質で、光沢があり、5~6列に並ぶ。雌雄異株で、雄株の頭花はほとんどが筒状の両性花。雌株の頭花はほとんどが雌花で、少数の両性花がまじる。———とあってよくわかりませんが、白い総苞片の中に黄色い頭花まだ見えにくい状態なのか、もう見えにくくなってしまったのか、で、普段見ている感じのヤマハハコとちょっと違っていました。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】08時40分=伊藤 幸司=1226
じつはこれがこの尾根道のハイライトらしいのですね。歩いている自分たちも天空散歩という感じがしましたが、雲のおかげもあって、特別に気分いい風景に見えました。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】08時41分=伊藤 幸司=1229
再び白馬岳山頂を振り返ると、湧き上がる雲の勢いはようやく落ち着いて来たようです。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】08時41分=伊藤 幸司=1230
「岩場でストックを使うのは危険」というのが日本の登山関係者の常識のようで、北穂高岳に登るとき、涸沢で監視員に強く怒られたことがあります。岩場でストックを使うなんて非常識だ! と。
20数年前、LEKIというドイツブランドで輸入されたストックを糸の会参加者の基本装備としたとき、私が一番重要視したのは石突の切れ味でした。たしか「超硬合金製」と書いてありましたが、たまたま持っていた人のものを借りて岩をついたら、その切れ味で導入を決めたのです。
この道は、その石突の切れ味で、ガツン、ガツンと自分の手が1mほど伸びたように岩をつかむことができます。段差のある岩場では体重移動のための重心管理が必要になりますが、岩をガシッとつかむ長い手を自分のものにした価値には大きなものがあります。その石突の岩をつかむ能力をアイゼンの「歯の鋭さ」と同じものだと考えれば、登山家ならわかっているはずなんですけれどね。
ともかく、なれない登山者にとって、下りでのダブルストックは安全性を高めるだけなく、恐怖心からくる危険を大幅に削減してくれるので、安全を管理するリーダーにとってさらに大きな価値をもっているのです。少々高価な道具ではありますけれど。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】08時44分=伊藤 幸司=1234
段差の大きなこの一歩。通常ならステップをできるだけ多く探して下ろうとするところで、「大きな段差をゆっくり」と「まっすぐ降りる」体験を一度でもしてみたら、下りでのダブルストックが「杖とはまったく別物」だということだれにでもわかるはずです。登りで扱いにくところのあるダブルストックのマイナス面を、下りでは何倍にも大きくして返してくれる、ということを知ってもらうまでが、ちょっと大変で、私はいささか手抜きをしたと反省しているのですが。(登りでは使い方がへタッピーでも危険性はあまりないですからね)

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】08時47分=伊藤 幸司=1237
画面上部に文字が入る絵柄になってしまいました。この絵にかぎりませんが、葉書に使いたいとかいう場合にはご一報ください。参加された皆さんにはオリジナル画像をお送りします。ちなみに私の写真はよほどの例外以外はノートリミングで、フォトショップなどでの画像処理も(原則として)加えていません。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】08時48分=伊藤 幸司=1241
妙高山(2,454m)+火打山+焼山という豪勢な背景も、もうそろそろお別れかな? という予感がします。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】08時50分=伊藤 幸司=1243
オヤマソバですね。岩陰にひと群れですが、とても元気な様子でした。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】08時50分=伊藤 幸司=1244
オヤマソバの花と葉の雰囲気を撮っておきました。もちろん最近は見たことのある花でも、ほとんど名前は出てきません。「知っている花」ということはわかってシャッターを切っているのですが、名前は帰って調べてみる……ということで。でも、一昨日、八方尾根で見たオヤマソバと比べたら、こちらのほうがうんと若々しく見えたと思います。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】08時50分=伊藤 幸司=1245
花と葉っぱの取り合わせ。これだったらグーグルレンズで、ほぼ一発でオヤマソバと出てくるでしょう。ともかく、こうして見れば、きれいな花じゃないですか。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】08時50分=伊藤 幸司=1246
しつこくオヤマソバです。たぶん、土壌が安定したところに住み着いてきた、というようなことでしょうね。私たちは確実に下っています。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】08時51分=伊藤 幸司=1247
この、重力に後押しされるようにリズミカルに下る気分は爽快です。ストックの先端をどこに置けばいいのか、つま先で次に踏むのはどの岩のどの面なのか、ということを要所、要所できちんと確認している限り、安全性は大きいからです。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】09時03分=伊藤 幸司=1253
トウヤクリンドウはリンドウの仲間としては異端的な「淡黄緑色」ですから、なんで「トウヤク(当薬)」なの? という疑問が大きくなってきます。「GKZ植物図鑑」によると———和名は、トウヤク(当薬)と同様の薬効を持つリンドウの意。因みにトウヤク(当薬)とはセンブリの根茎を乾燥させた薬である。———
そこで「当薬」と検索してみました。養命酒の「生薬百選」によると———とても苦いことから「当(まさ)に薬たるべし」として「当薬」の生薬名がついたとも言われますが、センブリの名前のほうがご存知の方も多いと思います。また、センブリの名は湯に浸して千回振り出してもまだ苦いところからつけられたとも言われています。———
でもその薬効は? 養命酒によると———センブリ(当薬)は漢方処方には用いられませんが、古くから苦味健胃薬として用いられてきた民間薬の代表的なものの1つです。乾燥した全草を粉末にして耳かき一杯程度を内服するか、乾燥したセンブリ1〜2本をそのまま湯飲みに入れて熱湯を注いで服用します。———となかなかすごい名前なんですね。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】09時08分=伊藤 幸司=1254
なんとまあ、また登りですよ。でもサイズといい、登山道をつくった人の遊び心といい、なにか特別な存在みたいだな、と思います。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】09時16分=伊藤 幸司=1257
期待した山頂はこんなもん。地形図にある標高2,612mの無名峰だと思うのですが、標識には「船越ノ頭」とありました。ここで10分休憩。長い稜線の大きな区切りとなりました。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】09時25分=伊藤 幸司=1259
足下に白馬大池山荘がありました。標高差で250mほど下になります。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】09時26分=伊藤 幸司=1261
足下に白馬大池を見下ろしてから、そこに向かう道は下るにしても不思議な巻き道状態になっていました。白馬大池を見下ろしてからわずか1分後の写真です。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】09時30分=伊藤 幸司=1263
一気に下る、と思ってから5分後、私たちはハイマツを「漕ぎ」ながら登り気味に歩いていました。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】09時36分=伊藤 幸司=1266
前の写真からさらに5分後、私たちは大きな Z 模様を描きながら下っているようです。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】09時43分=伊藤 幸司=1270
ヤマハハコのクローズアップ写真が撮れました。かろうじて淡い黄色に見えるところが花(頭花)でそれを取り巻く白いプラスチックみたいなものは花びら状だけれどじつは「葉」で、いわゆる葉っぱとは区別して総苞片とか。
ウィキペディアによると「1個の花または花の集まり(花序)の基部にある特殊化した葉」のことを「苞(ほう)」といい、「花序の基部にある特殊化した葉を総苞片」というのだそうです。ついでに「ハナミズキでは、小さな花が多数密集し、4枚の大きな総苞片で囲まれている」と解説されていました。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】09時46分=伊藤 幸司=1271
湖岸に下りました。早速、強烈なケルン群です。たぶんこれはほんとうの意味での道迷いを防ぐための、道標でしょう。なぜわざわざこんな派手に……と思ったのですが、進行右手に白馬大池があって、進路に不安があるとそちらによってしまう、というのを避けようとしているのではないかと想像しました。
もしここで濃いガスに巻かれていたとしたら、……たとえば私なら、右手に白馬大池があって、いずれ右に曲がって乗鞍岳(から栂池)へ、そうでなければまっすぐ行って蓮華温泉へ、という図式を描いているはず。だからこの登山道の踏み跡を外したら、まずは右へ、右へとズレていくはずです。このときも、右手に水面をさがして、けっこう距離があると確認していました。ガスに巻かれて道から外れたと思ったら、池の方へ意識的にズレていくのだと思います。
理想的には栂池と蓮華温泉、つまり長野県と新潟県への分岐を右に進みたいのですが、(ガスに巻かれて)この道を進んでいるうちに、たぶん、分岐の手前だろうか、先だろうか、という疑心暗鬼に取り憑かれるだろうと思うはずです。(行き過ぎてから引き返すというのは、ガスの中ではものすごく危険だと思っています。とんでもない行動に移ってしまう可能性が大きいのです)
そういう意味で、ここにこのようなケルンをこの間隔で並べていることで、何人もの人が助けられたと考えます。遊び半分で石を積んだケルンとは違っている、と思った理由はここがそういう場所だからです。(ちなみに今日これから通り抜ける場所で、岩につけられた目印を必死で探して助けられた体験が過去にあります)

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】09時51分=伊藤 幸司=1272
平坦なこの道ですが、前方が見えなくても、足元をきちんと見ていれば、道を外しにくいと思うけれど、ときどき、入口だけがじつにうまく人を誘い込むところもあるので、夜間、強いライトを振り回しなら歩いていると危険です。私がトップを歩いているとき、わたしは手のひらに入るようなキーライトで道筋を探します。(ここでは詳しく書かないけれど、自分の目の、感度の高い周辺視野の能力を損なわないためです。)

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】09時56分=伊藤 幸司=1276
突然現れたのは、予想していなかったチングルマの斜面です。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】09時56分=伊藤 幸司=1277
チングルマの綿毛は、種のひとつひとつを風に乗せるためだそうです。木本(樹木)なので、地面をがっちりと抑えた上で領土拡大のための飛び道具を使っているということになるでしょうか。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】09時57分=伊藤 幸司=1279
花を下向きにつけるオニアザミは、こんなふうに、突然ひとかたまりの集団として登場する、という印象が私にはあります。(次の写真で、ダイニチアザミと訂正します)

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】09時57分=伊藤 幸司=1280
オニアザミの花です。日本の固有種なんだそうです。そして東北地方の日本海側の、産地から高山のみに分布しているというのです。私はなんとなくあちこちでたくさん見たような気分になっていましたが、初日に腹ごなしのために歩いた八方尾根を八方池からもう少しのぼったところにある花畑や、尾瀬の燧ヶ岳から尾瀬御池へと下る道筋で見たのが強く記憶に残っていたぐらいだと思います。アザミはいろいろあってわかりにくいのですが、親分肌のフジアザミと、このしなやかな首筋のオニアザミは個性的です。
ところがこれはオニアザミではないようです。国立科学博物館の日本のアザミに「ダイニチアザミ」がありました。
———和名は大日薊,白馬大池の背後にそびえる小蓮華山(これんげさん)の旧名,大日岳(だいにちだけ)に因む.かつてタテヤマアザミと変種関係にあるとみなされたが,はっきりした独立種である.ダイニチアザミ亜節は本種1種のみで,近縁なアザミは日本列島以外でもどこにも見当たらない.———
ただ、私はこの2日目にたぶん同じものを「タテヤマアザミ」としてきました。白馬岳周辺では「タテヤマアザミ」が今でも一般的なんだと感じます。
じつはこの国立科学博物館の情報でもタテヤマアザミの「ノート」に次のように書かれています。
———かつてはダイニチアザミの変種とされたが,大日アザミは花期に根生葉が残る,別のグループの種である.北アルプスでは,北部にタテヤマアザミ,南部にキソアザミが分布し,地理的な棲み分けが見られる.———
要するに「根生葉」が残っているかどうかを確認しなければわからないんだということのようです。今日は本家本元の「旧大日岳」を通ってきたので、ダイニチアザミとしていますが、北アルプス北部としてはタテヤマアザミ、もうすこし広い範囲ではオニアザミとしておくのが、身分相応の呼び方かと思いました。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】09時59分=伊藤 幸司=1283
ミヤマアキノキリンソウです。アキノキリンソウの高山型ということで、私の理解力では分布域が大きく違っているだけ。ただし低地型のアキノキリンソウより黄色い花(頭花)が大きいので「コガネギク」という別名をもらっているというのです。
じつは低地型のアキノキリンソウにはアワダチソウという別名があって、花が終わると泡立つような綿毛がそう呼ばれたのだそうです。そこに仲間のセイタカアワダチソウが加わります。明治時代に観賞用として輸入された北アメリカ産のアワダチソウで、繁殖力が強いことから河川敷などにも広がり、花粉症を引き起こすと誤解されたりもして、侵略的外来種とされたのだそうです。セイタカアワダチソウは、いかにも外人さん、という風貌ですけれど。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】10時00分=伊藤 幸司=1286
30分ほど前、上から見たときにははっきりと見えていた白馬大池山荘が、かなり濃いガスに包まれていました。私たちはここで早昼食の休憩をとるとして「とりあえず20分」という休憩をとりました。問題はこの時間にメシのたぐいがあるのかどうか。最悪カップラーメンでも、という予定でした。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】10時05分=伊藤 幸司=1287
ありました。カレー。ここの夕食はカツカレーのおかわり自由が「名物」だそうですが、じつは大原則として「お食事は受付ておりません」とのこと。さらに加えて10〜14時の「喫茶・昼食の営業時間」にはカップ麺とカップコーヒーのみとあり「食材の在庫具合によりメニューが変わります」(「変わります」の使い方が奇妙ですが)と。だとすると余ったカレーが出てきたのかなと思いましたが、十分にリッチな昼食になりました。カツはのっていませんでしたが。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】10時15分=伊藤 幸司=1288
朝食が5時半でしたから、このカレーが食べられなかったら、また減点、というところでしたから、よかった!

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】10時29分=伊藤 幸司=1292
まずは白馬大池の北岸をたどります。登山道は波打ち際をたどっているらしいのですが水面が見えません。かなり濃いガスに覆われているようです。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】10時30分=伊藤 幸司=1293
ここで初めて気づいたのですが、この立派な標識には「白馬岳 Mt.Shirouma(Mt.Hakuba)」とありました。「白馬大池 Hakuba-Oike Pond」です。
じつは白馬大池の読み方は、ネット上ではすべて「はくばおおいけ」となっているようなので、そんなことはないはず、と思って調べると「白馬大池火山のK-Ar年代」という地質関係の論文が出てきました。2001年に「火山」という雑誌に載ったもので、英文のタイトルでは「Shirouma-Oike Volcano」となっています。
ちなみにウィキペディアで「白馬村(はくばむら)」を調べてみると「村名は富山県と接する白馬連峰の白馬岳(しろうまだけ)に由来する」とあり、農作業にかかわる「代馬岳(しろうまだけ)」が———やがて白馬岳(しろうまだけ)」に変化し、「はくばたけ」と音読されるようになり、麓の村や鉄道駅の名称ともなった。———とあいまいですね。
「しろうま」か「はくば」かというのが問題なのは、なんだかずるずると、あいまいに、放置されている気配があることです。たとえば上村愛子、渡部暁斗などというオリンピック選手が出た長野県立白馬(はくば)高等学校の文化祭は「しろうま祭」だそうです。ウィキペディア「白馬村」の2016年3月には———長野県白馬高等学校に教育寮「しろうまPal House」が開寮する。———などともあります。また校歌には「白馬嶺」「白馬が嶽」とありますが、ハクバですかね、シロウマですかね。
2022年1月29日の信濃毎日新聞デジタルにありました。———白馬村の象徴、北アルプス白馬岳(2932メートル)の呼び名は「しろうまだけ」か「はくばだけ」か。以前からある論争で、「しろうま」は山腹に現れる雪形「代(しろ)かき馬(うま)」が由来とされ、「はくば」は山並みの全景を「白馬(はくば)」に見立てたと伝わる。国土地理院は「しろうまだけ」を採用し、地図などに使われている。これに対し、山岳ガイドでつくる白馬(はくば)山案内人組合は「地元では『はくばだけ』だ」と主張。山岳観光関係者らの合意を得ながら「はくばだけ」を広めようとしている。———

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】10時31分=伊藤 幸司=1295
白馬大池の湖面はかろうじて見えていました。しかしここに、パラッと雨が来たのです。湖岸の狭い道でしたが、私は急いで「雨具をつけましょう」と叫んだのです。
落ちてきた雨粒が大きかったのであわてたのですが、空振りでした、皆さんに対しては。私はカメラのレンズを濡らさずに撮影するためのカサを出しただけでなく、自分自身も雨具をつけました。というのは私はこのあと、風が吹いて横殴りの雨で一瞬にしてずぶ濡れになるような危険を感じたのです。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】10時50分=伊藤 幸司=1301
乗鞍岳(白馬乗鞍岳・2,436m)への、道は巨岩をすり抜けるような風景になりました。その地質学的説明がYamaRecoの「日本の山々の地質」にありました。「第2部 北アルプス、2−23章(3)白馬岳とその周辺(3)—白馬大池火山—」という大作。その「白馬乗鞍岳付近の地形的な特徴」がまさにそのとおり、という感じですね。
——— 白馬乗鞍岳を歩かれた方は解ると思いますが、この山は、見た目上は平坦そうな山頂部を持っていますが、歩いてみると、巨岩がゴロゴロして非常に歩きにくい場所です。
 こういう、数mサイズの巨岩がゴロゴロと転がっている平坦な場所を、地形学用語では、「岩石原」と言います。他に、蓼科山の山頂部や、北海道 トムラウシ山の山頂付近も、同じような巨岩がごろごろした景観を作っています。
 この巨岩は、氷期の寒冷な気候のもとで、溶岩層の間の割れ目に入った雪が、解けたり凍ったりすることを繰り返しつつ、どんどんと溶岩層を割っていき、巨岩の堆積状態になったものと考えられています。
 また、こういう巨岩が、山頂部ではなく山の斜面にゴロゴロと転がっている状態は、地形学用語で「岩塊斜面」(がんかいしゃめん)と言い、日本アルプスや東北、北海道の山々の各地に存在します。
 いずれも、氷期の寒冷な状況下でできた地形で、地形学用語でいう「周氷河地形」の一種です。———

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】11時18分=伊藤 幸司=1311
大きなケルンがあって「白馬乗鞍岳 Mt.Hakubanorikuradake」「標高2469m」という立派な標識が立っています。しかし地形図(国土地理院)ではこのケルンのマークのそばに「乗鞍岳」という山名を起き、「2456」の水準点はすこし離れた、標高2,450mの等高線で描かれた大きな円の中心に置かれています。写真の前方に見えるケルンは標高2,436.5mという三角点のあたりだと思います。この写真の右手がいくぶん高く見えるのは、地形図の表記と合致しています。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】11時28分=伊藤 幸司=1314
乗鞍岳の山頂部は森林帯を越えていてハイマツの中を進んでいきます。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】11時37分=伊藤 幸司=1318
標高2,436.5mという三角点の先は一気に下ります。標高2,204mの天狗原という湿原まで真っ直ぐ下る、というふうに地形図からは見えますが、ガスに巻かれて、なんだか深い谷に吸い込まれていくような気分になりました。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】11時43分=伊藤 幸司=1320
登山道はすぐに、地形学用語で「岩塊斜面」(がんかいしゃめん)といわれるという荒々しい道になります。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】11時50分=伊藤 幸司=1322
以前、このあたりで、やはりガスに巻かれていたのですが、この写真の前方に見える2種類の円形のペンキマークがひとつだけ、しかも薄れていてすごく神経を使った記憶が残っています。「2種類の」というのは手前の白い円と先にある黄色の円の2つです。黄色の円のほうが古いようでしたが、それも塗り直してありました。たぶんその黄色マークの先代がかすれていたのだと思います。ルートを1歩はずしたら、登山道にはもう戻れないという恐怖を感じたことだけ覚えています。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】11時52分=伊藤 幸司=1323
ダブルストックのおかげで、女性のみなさんはすでにどこにも見えません。10分経って、最後尾の到着を待っていることでしょう。最後尾になったTさんは私と同世代。一昨日、鑓温泉小屋に急いだとき、息切れしながら振り返ると、このTさんが先頭になってすぐ後ろに迫っていて慌てました。足元が良ければ速いんですね。このくらいの道になると安全第一主義で急にスピードが落ちるのです。でも安全が第一です。時間が安全を担保してくれるのであれば。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】12時03分=伊藤 幸司=1326
普通のオニアザミではなくて、さっき通った小蓮華岳(旧・大日岳)由来のダイニチアザミがここにもありました。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】12時04分=伊藤 幸司=1327
アザミの花は、筒状花という細いストロー状のものの集合体で、その1本、1本が1個1個の花だといわれて、その絶妙な構造を語られても、それがすべての1本、1本にそなわているのだと納得するまでに何本の解説を読んでみたことか。
……それによるとストロー状といってもマッチ棒ほどの細さの中に白い花粉をたくさん詰めつつ、5本の雄しべが雌しべを囲んでいるのだそうです。そしてその筒状花の先に昆虫が触れたりすると、5本の雄しべがそれぞれの根本の糸状のものが縮んで引き込まれるため、筒状花の口の部分から白い花粉が溢れ出てくるのだそうです。
……そしてその後、仕事を終えた雄しべが枯れると、残された雌しべが受粉体制を整えて別の花からの花粉を受け取るのだそうです。
……だとして、このダイニチアザミの筒状花の1本、1本がどのような状態なのか、私にはわかりませんが。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】12時05分=伊藤 幸司=1328
トラロープがあって登ってくる2人組がありました。一般的にいって、この場所に生じるような段差は女性にはなかなか大変です。杖があれば手が長く伸びた分だけ「バランスアシスト」が有効になります。そして私たちの「ダブルストック」ではバランスアシストにも有効な、岩に食い込む石突部分の刃物の切れ味が効いてきて、さらに体重をゆっくり上げたり、ゆっくり下げたりするための「パワーバランス」においてもものすごく大きな仕事をしてくれるようになります。そのことを知るためには一般に女性が苦手とされる急な斜面、段差の大きな斜面での体の上げ下げを真剣にアシストしてみてもらいたいのです。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】12時06分=伊藤 幸司=1329
初めての人は言われてもなかなか理解できないようですが、「手が1m伸びる」という効果は、正面の岩に支点をとるという場面で効果を発揮します。ただしストックを岩に対して使うときには、石突の刃物の性能が命に関わることなので、事前に岩を思いっきり突いてみて、道具としての信頼を確認しておく必要があります。でも慣れてくると、自然の岩の表面には小さな穴やシワがたくさんありますから、ストックの刃をそこにピタッとはめてやるだけでかなり大きな安全を確保することもできるようになります。とにかく強力な爪を持った手を1m先まで伸ばせるという能力アップは素晴らしいものです。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】12時10分=伊藤 幸司=1333

この状況なら、みなさんルンルン気分です。まちがいありません。……でも私はこの岩が濡れていたらどうだろうと想像しながら歩くのが役目だと思っています。突然水の流れが絡んできて岩が濡れたり、湿った場所でコケが生えていたりしたら、みなさんをびっくりさせるような声で止まってもらって、ルンルン気分には水を差します。ただし新しい参加者がいる場合には「ここで」という特別な実地指導をすることで、全員に自分の技術レベルを再確認してもらう時間にもしたいと考えています。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】12時19分=伊藤 幸司=1334
この岩を見ると、この登山道が、かなり本格的な土木作業によってつくられたとわかります。この岩に残るノミ跡が大岩を割ったのだと伝えています。なんとなく沢筋のルートだと思っていましたが、そうじゃないんですね。大岩ゴロゴロではありますが、暴力的な水の侵食によってできた道筋にしてはかなりやさしいと感じていたのはそのことでしたね。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】12時23分=伊藤 幸司=1340
これがまったくの、人工的な登山道だとすると、それはそれで別の評価が出てきますね。
じつはこの道の途中で、登りに難儀している息子と母親と思われる2人とちょっと言葉を交わしたのです。女性は明らかに疲労困憊していて、登りの段差がひとつひとつ大きな障壁となって立ちふさがってくる、というような状況でした。それを男が元気づけるというか、叱りつけるというか、登らせる! という強い口調で追い立てている感じでした。
私にはそういうときの感情の機微をとらえるような対応ができないので、とりあえず「大丈夫ですか?」と言ったのですが、その結果、女性になにか、いわゆる登山ということより重い何か、つまりここを登る意味があって、男にはそれを強力に支える義務があり、その義務がしばしば権利となって、がんばらせている……というふうに思えたのです。その想像が当たっているかどうかわからないまま、「大丈夫です」とピシャッと否定されたのでそのまま別れたのです。
この厄介な部分は登るにしても、下るにしても、距離はそれほど長くない、日没までの時間はまだかなりある、……だから怪我さえなければなんとかなる。生涯忘れない山の思い出として悪い方向ばかりではない、と思いました。しかもその後、山小屋の関係者と思える女性が登っていきました。上には白馬大池山荘しかないので、黙って通り過ぎたはずはない、と考えて、すぐに忘れたのです。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】12時24分=伊藤 幸司=1342
沢筋などでよく見かけますが、自然が作り上げた地形のなかに設置された登山道では、危険と思われる場所に逃げ道や、ロープ・クサリなどの補助を加えて安全を確保してくれています。車の道にガードレールやカーブミラーをつけるのと同様、その設置によって安全レベルの設定も見えてきます。つまり登山道がしばしば「初級」「上級」などとレベル表示されるのはその安全対策のレベルと考えていいのです。たとえば深田久弥の「日本百名山」は、そのメインルートはほぼすべて(例外はありますが)、国道並み(国民レベル)に整備されてしまいましたね。
ところがいま下っているこの(私の想像では急斜面に切り開かれた完全に人工的な)登山道は寺社の参道のように、逃げ道がありません。沢登りのときのような巻き道が一か所もないのです。それが、いったんこの道を歩けなくなった人には不幸なのかな、と思いました。たとえばこの、私たちには(濡れてさえいなければ)ひょいひょい歩けるところだって、人によっては立っているだけで大変かもしれません。逃げ場がないという意味で人工的な道ゆえの厳しさがあるのだと思います。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】12時34分=伊藤 幸司=1348
乗鞍岳山頂から1時間15分のほどの下りで標高差約200mを下りました。天狗原の湿原ですね。雨の日なんかだったら、この板張りの道は岩場よりもっと怖いかもしれません。念のために、そう思ったら、まず靴底で滑り具合をチェックしてみます。後傾姿勢になったらかんたんにスッテンコロリンで、場合によっては大きなケガにつながります。とくに手の骨折がこわいですね。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】12時35分=伊藤 幸司=1351
木道を歩くときの安全対策の第一番はスピードを落とすこと。できればつま先で接地点を探るようにして(イメージとしては能舞)後傾姿勢にならないことです。もしそれに傾斜が加わったりしたら……、たぶん地面に逃げ道ができていますよね。私はリーダーの非常用装備として、軽アイゼンをひとつ常に持っています。いままで無雪期に使用したことはありませんが。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】12時40分=伊藤 幸司=1360
天狗原湿原のほぼ中央に、ゆったりとくつげるベンチ広場がありました。私はここで、ようやくイワショウブを撮りました。白い花に淡い紅色の花も混じったり、花数ももう少し多くなったりしてこれがベストという感じではないのですが、湿原のあちこちにポツン、ポツンとこの花が見えるときが好きなんですね。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】12時40分=伊藤 幸司=1361
この赤いのもイワショウブです。「赤花イワショウブ」というのもあるようですが、これは赤い実です。「尾瀬とTEPCO」によると———9月下旬になると、イワショウブはピンク色の実をつけます。この時期、夏のイワショウブの白い花の中央から、ピンクのかわいい実が育ち始めます。ふっくらと大きくなるにつれて濃いチェリー色へと変わる様子が目を惹く実です。———

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】13時09分=伊藤 幸司=1366
道際にピンク〜紫系の花がありました。とりあえず撮っておいた、という写真です。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】13時09分=伊藤 幸司=1368
とりあえず撮っておいた花は、どうも初めて見た(初めて意識した?)花でした。とりあえずグーグルレンズで調べてみると「オニシオガマ」というらしいとわかりました。「熟年夫婦の山日記」によると———本州の秋田県から石川県にかけての日本海側に分布し,低山帯~亜高山帯の沢沿いなど 湿った所を好んで生える半寄生性の植物。丈は40~100cmで,多くの シオガマギク属 の仲間の中で最も大型。花茎は太く,白くて長い毛が密生している。———

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】13時22分=伊藤 幸司=1374
標高約2,200mの天狗原から下は、ごく一般的な登山道になりました。標高約1,850mの栂池自然園ビジターセンターまで標高差約350mですから、1時間見ておけばお釣りがくる、というところまで来たのです。下りは道の状態がよければ1時間に500m以上下れます。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】13時37分=伊藤 幸司=1378
天狗原を出てから約50分、建物が見えてきました。道はどんどん高度を下げていきます。

白馬岳、白馬三山
4日目【撮影】13時47分=伊藤 幸司=1385
天狗原からジャスト1時間で栂池登山口に到着しました。栂池自然園のあるところで、ロープウェイ駅まではさらに5分というところです。私たちはとりあえずトイレ休憩をしました。



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