山旅図鑑…た
高宕山(2002.2.6)
フォトエッセイ・伊藤 幸司

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糸の会(no.1176)
2020.2.6
高宕山



高宕山、JR久留里線
【撮影】09時04分=伊藤 幸司
ここはJR木更津駅。止まっている電車は09時16分始発のJR久留里線・久留里行きです。えっ! きれいな車両じゃない? という素朴な印象でした。私は鉄道にはあまり関心がなかったのですが、帰ってこの写真を見ると「E130」という文字が目に飛び込んできました。厄介なことになるかな? とは思いましたが、検索してみると当然わかるんですね。
すると『emerging media Response』という車関係の情報メディアでしょうか、そこに『久留里線のキハE130形が内房線に初入線…木更津-館山間で運行 2020年2月1・8日』(2019年12月23日)という記事があったのです。
【JR東日本千葉支社は2020年2月1・8日、久留里線(木更津〜上総亀山)で運用しているキハE130形を内房線で初運行する。
これはJR東日本千葉支社が地域と連携して、台風や豪雨災害に見舞われた千葉県の観光復興を応援する企画の一環として行なわれるもの。
時刻は木更津9時20分頃発〜館山11時6分頃着・14時3分頃発〜木更津15時25分頃着。
各日40人を募集し、旅行代金は5990円(大人用のみ設定)。申込みはびゅうトラベルサービスのウェブサイト「日本の旅、鉄道の旅」で受け付けている。
《佐藤正樹(キハユニ工房)》】
どういうことかよくわかりませんが、ひょっとするとこの「E130」というのはかなり有名な車両なのかもしれません。
そこで『ウィキペディア』を見ると『JR東日本キハE130系気動車』がありました。
【水郡線の混雑緩和のため、同線で使用されてきたキハ110系気動車の置き換えを目的に製造され、2007年(平成19年)1月19日から使用を開始した。1999年12月の陸羽西線向けキハ110系気動車の導入から、2007年1月の本系列導入までの約7年間、JR東日本に新型一般形気動車が導入されない状況が続いていた。本系列はJR東日本の気動車としては約16年ぶりの新規設計車となる。なお、本形式投入で捻出されたキハ110系気動車は他地区の車両更新に充当されている。
両運転台構造のキハE130形と、片運転台構造で2両固定編成を組むキハE131形・キハE132形が存在する。
その後久留里線向け・八戸線向けにも製造されたが、製造時期や投入目的等の違いにより0番台・100番台・500番台に分かれており(100番台はキハE130形のみ存在)、2018年3月時点で計72両が在籍している。】
まあ、微に入り細を穿っていて鉄道マニアの人たちはこういう知識をどんどん詰め込んでいるんだろうな、と読んでいくうちに、この車輌のことを知るためには「E130」の右にある小さな数字も重要とわかりました。オリジナル画像で見ると「E130-108 DIESEL」だそうです。
するとこんな解説も理解できるようになりました。
【キハE130形──両運転台式の車両である。0番台と500番台はトイレが設置されているが、100番台はトイレが設置されていない。
定員は0番台・500番台が、座席34席・立席79人の計113名、100番台が座席39席・立席83人の計122名。】
【100番台──久留里線で使用されてきたキハ30形・キハ37形・キハ38形を置き換える目的で導入された車両で、2012年(平成24年)にキハE130形が10両導入され、久留里線・内房線・外房線でキハE130-101を中心に試運転を行った後、同年12月1日より営業運転を開始した。配置先は幕張車両センター木更津派出である。
前述のとおり、本番台のみロングシートで、かつトイレが設置されていない。バリアフリー対策も施され、車内構造の基本的な考え方はE233系電車などと同様となっている。
塗装は全車共通で、キハ37・38形で使用された青・緑・黄を引き継ぎつつパターンを一部変更し、正面は緑の外側に黄色、側面はドアが全面黄、側窓の上部に青、下部に緑を配している。全車両が新潟トランシスで製造された。】
すごいですねえ、鉄道情報は。私などはむしろそのジーゼルエンジンが「コマツ製」だということに驚きました。【駆動用のディーゼルエンジンは環境負荷に配慮し、北海道旅客鉄道(JR北海道)のキハ150形が搭載しているN-KDMF15HZをベースとしつつ、排気中の窒素酸化物 (NOx) や粒子状物質 (PM) を低減できる「コモンレール式燃料噴射装置」などを採用したコマツ製の新型ディーゼルエンジン SA6D140HE-2(JR形式 DMF15HZ、定格出力 450PS/2,000rpm)を採用している。車体重量は増加したが、変速機の性能向上によりキハ110系とほぼ同等の駆動性能を確保し、同系列との併結運転も可能である。】

高宕山、JR久留里線
【撮影】09時53分=伊藤 幸司
JR久留里線は房総半島のど真ん中へと向かっていくんですね。平地はことごとく水田にしようと努力してきたことが見てとれます。もちろんダメなら畑に。
じつは昔、息子が小学生の時に、雑誌の企画でこの線の終点の上総亀山(亀山湖)から自転車で東大演習林の道を抜けて清澄寺まで父子サイクリングをしたことがあります。
房総の山にはいくつか登っていますけれど車の通れる道、歩ける道以外は、とても歩ける状態ではないという不思議な世界です。たぶん面的広がりを感じさせる平地の風景は、人々の営々たる努力あってのことだと思います。

高宕山、JR久留里線
【撮影】09時59分=伊藤 幸司
房総半島の稲作に関する記事がありました。
『南房総市』の『南房総郷土史』の『農業史』に『稲作のはじまり』がありました。このあたりから見ると「お隣さん」の」話になりますが。
【南房総で稲作の開始を物語る資料は、いくつかあります。
館山市笠名から出土したと云われる石包丁は、千葉県内唯一の弥生時代の形態を示す資料です。
鴨川市根方上ノ芝条里跡からは今から約1800年〜2000年前の弥生時代後期の水田を伴う集落跡が発見されています。また、ここでは砂岩製の穂摘み具と推定される石器も出土しています。
このころの水田は、館山市長須賀条里制遺跡で検出されているように小区画水田といって、一枚の面積が1〜3㎡程度に非常に狭く畔で区画されたものでした。水田面を造成するには、斜面に対して水平な面を作り、水を回すために畔と段差を付けながら区画していかなければなりませんので、小さな労働力に応じた造成方法が小区画水田だったのではないでしょうか。この水田造成方法は、棚田にも通じる方法です。
古墳時代に入ると、同じく館山市長須賀条里制遺跡で用水路と水田が発見されています。水路から畦畔越しに水を入れるために木樋というU字溝を埋設し、灌漑施設が整った水田の 姿がうかがえます。しかも、埋設された木樋の蓋には、倉庫の扉を転用して使用していました。】

高宕山、君津市、久留里
【撮影】10時09分=伊藤 幸司
久留里駅にあったこの(なんていうんでしょうか)観光看板、県民としてモデルになってくれたWさん、ありがとうございます。
また車体の文字を読んでみると「E130」の下の【君津市文化のまちづくり 市税1%支援事業】ってなんでしょう。左側には【制作:千葉県立君津青葉高等学校 久留里線委員会】とあります。

高宕山、君津市、久留里
【撮影】10時11分=伊藤 幸司
これは何かというと、久米駅から高宕山登山口まで送ってもらい、15時30分に下山口から亀山温泉ホテルまで送ってもらう27人乗りのマイクロバスなんです。なんと全部で14人という大所帯のうちの2人が千葉発の高速バスでやってくるので、それを待っているところです。
じつはこの久留里駅には2社のタクシー(各社1台)が常駐しているという破格の好条件ということで、9月に計画を立てたときにはなんとでもなるさと考えていたのです。
ところが、今回は千葉県民の参加が多く、タクシー2台でも2往復が必要になるうえ、公共交通機関として、予約で縛られるのは困る(つまりその時空いていたらどうぞ)という回答もあって、やむなく計画を大幅に変更、久留里線を利用せず、JR君津駅からジャンボタクシーと5人乗れる中型車で一気に登山口へ、という計画にしたのです。
ところが、中型車がジャンボとほとんど同じ料金という納得し難い料金体系のうえに、下山時にドッキングして帰路も頼む(スケジュール上は時間に関するトラブルの起きやすい帰路のほうが往路より重要なので、しばしば帰路を確保するために往路もタクシーでという計画にすることが多いのです)という手をつかいにくく、入浴予定の亀山観光ホテルにあるという「さくらタクシー」に下山口からホテルまでのピストン輸送をお願いしていたのです。
するとその「さくらタクシー」のドライバー山岸さんという人から電話があって、往復ともマイクロバスを出しましょうということで現地交通は一気に解決したのです。このマイクロバスは亀山レンタカーのものですが、さくらタクシーと同じく亀山温泉ホテルの敷地内にあるみたい。山岸さんの名刺情報を始めから知っていれば亀山湖周辺の交通事情はものすごくいいということがわかったのに、と思いました。
名刺の裏に書かれているのは、
・かずさエリア(亀山・松丘・久留里)の移動手段としてはお任せください
・2台体制で待機しております
・大人数の場合相談ください
・時間外の場合予めご予約下さい
・待機や送迎料金はご相談ください
・観光貸切1時間まで5,400円、3時間まで12,960円、6時間まで21,600円
・房総半島は近年話題の濃溝の滝やチバニアンを始め、養老渓谷や誕生寺、久留里城、清澄寺など魅力ある観光地が多くあります。半島中央部の亀山からアクセスが良いので、是非観光タクシーをご検討下さい。
……といったところ。電話は0439−70−7000です。
JR久留里線も魅力的なローカル鉄道ですし、安房鴨川(亀田病院)と千葉駅、東京駅とを結ぶ高速バスは便利です。久留里城があったという久留里や亀山湖が、房総半島のヘソという感じに見えてきました。

高宕山、君津市、久留里
【撮影】10時14分=伊藤 幸司
久留里駅前の久留里街道(国道410号)に迎えに出ると、反対方向の千葉行き高速バスが行きました。私が待っている安房鴨川行きのバスは10時13分の予定が10分ほど遅れました。

高宕山、君津市、久留里
【撮影】10時15分=伊藤 幸司
なかなか出来の良い市街地図が大きく掲げられていました。これは久留里駅前バス停のあるセブンイレブン君津久留里店の駐車場角にあって、向かいには千葉銀行久留里支店、周囲には千葉信用金庫久留里支店、久留里郵便局、レストランバンカム、割烹旅館山徳、堀内薬局、紙屋金物店、パン屋松ぼっくるり、伊勢源呉服店、和風スナック純、大黒屋化粧品店……などとあって、中心街の趣を残しており、一歩下がったところには吉崎酒造と藤平酒造などがあります。この商店街の外枠には市立久留里小学校、久留里中学校もあり、くるりスポーツ広場、かずさオートキャンプ場も。時間があったら歩いてみたくなるみごとな街並み地図になっています。
図名や著作者らしき表示は左下にあるだけですが、それによるとこれは【案内図No.0318−S011】で範囲は君津市の【小市部(こいちぶ)、久留里市場、久留里大和田】ということですが、【小市部(こいちぶ)、久留里市場、久留里大和田】というのは明治22年(1889)以前の村名で、他の多くの村と合併して久留里町となり、昭和29年(1954)に松丘村、亀山村と合併して上総町となり、昭和45年(1970)に君津町、小糸町、清和村、小櫃村と合併して君津町に、さらに2年後の昭和46年(1971)に君津市となったのだそうです。
『ウィキペディア』の『君津市』には【木更津港君津地区に位置し、東京湾沿いは日本製鉄(旧新日鐵住金)を中心とする重工業地域であり、市街地も君津駅を中心とした沿岸部に集中している。内陸部の久留里地区はJR久留里線が通り、江戸時代に久留里藩の城下町として栄え、歴史的町並みが残されている。】
また財政のところには【総務省が発表した2014年度の普通交付税大綱のなかで、当市が5年ぶりに不交付団体となった。自前の財政は非常に豊かな市である。】と書かれています。
細かなところまでこだわってしまいましたが【案内図No.0318−S011 PR広告三共製作】に関してはまったく手がかりがありませんでした。

高宕山、君津市、久留里
【撮影】10時18分=伊藤 幸司
これが久留里駅前バス停あたりの【久留里商店街】。白い車が止まっているのが【Shoe Shop マエダ】その先に【千葉信用金庫久留里支店】があります。駅に戻るにはもうすこし先を左に入ります。

高宕山、君津市、久留里
【撮影】10時23分=伊藤 幸司
高速バスで来たふたりが本隊に合流しました。

高宕山、三島神社→高宕山、三島神社
【撮影】10時26分=伊藤 幸司
私たちは三島ダムによる三島湖方面への道を南に向かいます。このあたりにはゴルフ場が散在しているだけに、平地が多いのだと思います。わずかな土地も水田になっています。

高宕山、三島神社→高宕山、三島神社、
【撮影】10時46分=伊藤 幸司
三島湖畔の三島神社の入口に到着しました。準備をして10時50分に出発です。

高宕山、三島神社→高宕山、三島神社
【撮影】10時55分=伊藤 幸司
三島神社は予想以上に立派でした。奥に立派な社殿も見えましたが、今回は台風の影響で登山ルートがどのような状況かわからないままなので、寄り道はしませんでした。
『君津市観光課』のサイトの『寺社』6件のひとつに、この『三島神社』がありました。
【大山祗(オオヤマツミ)命を祭神に鎮座する社は源頼朝に関わる伊豆三島神社を分祀したものと伝えられています。林立する大杉に包まれた三島神社の境内は広く、大きな鳥居をくぐって歩いていると太古の昔の世界を訪れているかのような趣があります。
9月28日日(現在は9月の最終日曜日)の秋の祭礼では氏子連が奉納する棒術・羯鼓舞(かっこまい)が演じられます。
「三島の棒術」の由来は、かつて源頼朝が安房の地から北上し、当地を通過した折に、一部の家来がこの地に土着し、武道に励みながら三島神社で奉納試合を行った事が始まりであると伝えられています。
「羯鼓舞」は、かつて日照り続きになった時、農民がこの社に集い、雨乞いを行ったところ、突然竜神が現れ、慈雨を降らせたという故事にならって、獅子を竜にたとえて舞いにしたものといわれています。】
『千葉県庁』のホームページに『千葉県教育委員会』の『三島の棒術と羯鼓舞(かっこまい)』がありました。
【9月の最終日曜または10月の第1日曜日に行われる三島神社の祭礼で演じられている。三島神社の氏子である4つの伝承地区のうち、旅名地区が羯鼓舞を、他の豊英・宿原・奥米の3地区が棒術を伝承している。
祭礼当日、高さ10m以上もある各地区の大きな幡を先頭に、棒術・羯鼓舞の演者、神輿や鉾などの行列が神社に勢いよく入れ込み、そのあと棒術、羯鼓舞の奉納となる。
棒術は2人の演者が、六尺棒、刀、木刀、なぎなた、鎌、扇子などを持って立ち会う。口伝では昔、源頼朝がこの地を通った際に、随行してきた兵士が土地に土着し伝えたものといわれている。豊英には丸橋流、宿原には蓮見流・田原流、奥米には朝山一伝流が伝えられている。
棒術のあと、羯鼓舞が演じられている。頭に羽毛をさした親獅子・中獅子・牝獅子の3匹がお腹につけた羯鼓を打ちながら踊る。この羯鼓舞には雨乞いの意味があると伝えられている。花笠をかぶって四方に立つ「ササラすり」の中央で獅子達が舞う様子は、「四方のあまねく民」すなわち大勢の農民が日照りに困り神に祈っているところへ3匹の龍神が現れ、雨とともに踊っている様子を表わすともいう。
昔は旱魃の時には雨乞い信仰の対象である鹿野山の白鳥神社などでも、この羯鼓舞と棒術を奉納したという。】
ちなみに三島神社の氏子となっているのは旅名村、豊英村、宿原村、奥米村の4村で明治22年(1889)に周囲の村々と合併して三島村に。昭和30年(1955)に秋元村と合併して清和村に。昭和46年(1971)に君津市になったとのこと。
たぶんその旧三島村は主要な部分を三島湖に沈ませたに違いないのですが、その想像と現実はちょっと違っていました。
『ウィキペディア』の『三島ダム』にはこう書かれています。
【旱魃に悩まされていた小糸川流域の町村長らが1936年(昭和11年)に灌漑用ダムの建設を千葉県知事および農林大臣に求めたことがきっかけとなり、1943年(昭和18年)に建設着工。太平洋戦争の影響による中断を経て1955年(昭和30年)に竣工、翌1956年(昭和31年)に満水式が行われた。その後用水路の新規建設などが行われ、1968年(昭和43年)に完工した。】
一般的なイメージのダム湖とは違うらしく【堤高が約25メートルと低く、ダムがあることに気づきにくいと言われている。】ということで、満々と水をたたえる湖……ではなくて、川筋にいくつもの水たまりを散らしたようなかたちが地図上にあることに納得がいきました。時間があればそちらも見ておきたいところではあったのですが。

高宕山、三島神社→高宕山、三島神社
【撮影】10時55分=伊藤 幸司
三島神社は杉並木の奥に、堂々とした姿を見せていました。行く余裕がなくて残念でしたが。

高宕山
【撮影】10時58分=伊藤 幸司
じつは私は、けっこうビリビリしながら歩き始めていたのです。この標識が出てきて、正直なところすこしホッとしたのです。
房総半島は昨年(2019年)2つの台風に直撃されました。それも狙いすましたような爆撃で、私たちはその結果、11月26日の大福山で紅葉谷に下ることが出来ませんでした。
気象庁によると9月の台風15号に「令和元年房総半島台風」、10月の台風19号に「令和元年東日本台風」という名称を与えたそうです。(2020年2月19日発表)
その房総半島台風と東日本台風の直撃で、高宕山でも登山道がズタズタになり、登山者たちが集中的にルートを開いた経緯がネット上に上がっていました。「通れるだろう」とは思うものの100%安心して出かけてきたわけではないのです。だから最初から「戻ってくる」という想定を捨てられていないのです。
この道標に、行き先の通行状況に関する何らかのメモがあったら「引き返す」確率は高いと考えなければいけないところでした。ともかく、私はこれを「GO」サインと受け取ったのです。

高宕山、三島神社→高宕山、怒田沢
【撮影】10時58分=伊藤 幸司
かなり立派なお地蔵さんがありました。かなり大きいというだけでなく、古いままの姿で残されてきたという意味で、地元の信仰を感じさせます。
一瞬立ち止まって撮っただけなので気がつきませんでしたが、たくさん貼られた御札が剥がされているところを見ると、信仰上の小さな軋轢があるのかもと思われます。お賽銭は右側の礎石に10円玉(たぶん)が1個だけ、というのも、意味ありげに思われます。

高宕山、三島神社→高宕山、怒田沢
【撮影】10時58分=伊藤 幸司
お地蔵さんの頭部です。首の太い、頑強な男性のような雰囲気ですね。

高宕山、三島神社→高宕山、怒田沢
【撮影】11時01分=伊藤 幸司
三島神社は旧宿原村にあるのですが、その奥の怒田沢(ぬたざわ)集落に入っていきます。山あいの小さな農村という雰囲気で、ソーラーパネルを並べた農地もありました。

高宕山、三島神社→高宕山、怒田沢
【撮影】11時04分=伊藤 幸司
竹藪のタケがこんなふうに倒れているのはやはり昨年の台風によるのでしょうか。
タケの節の輪が1本で輪の下が白くなるのは孟宗竹の特徴だそうですから、これは最初、タケノコを採るための竹林だったかもしれません。しかしほとんど手入れがされていません。こういう竹林を首都圏の山里で、たくさん目にします。

高宕山、三島神社→高宕山、怒田沢
【撮影】11時05分=伊藤 幸司
広い風景のところに出ました。かなりのお金をかけて立派な道と農地の地盤整備が行われてきたんですね。房総半島全般の農業改革なのか、海岸地帯に重工業地帯をもつ君津市ならではの豊かさなのか。
すこし手前に「怒田沢(ぬたざわ)増圧ポンプ場」という名札のついた真新しい水道施設がありました。全面的な農業改革が行われているようにも感じられます。ネット情報ではわかりませんでしたが。

高宕山、三島神社→高宕山、怒田沢、スイセン
【撮影】11時05分=伊藤 幸司
道際にはスイセンが植えられていました。房総の冬といえばスイセンですが、それは江戸時代まで遡るようです。
『南房総観光ポータル・サイト 房総タウン.com』の『をくづれ水仙郷と佐久間ダム』(2020-01-17)がそのことに触れています。
【鋸南町は越前、淡路と並び水仙三大産地です。鋸南町の水仙は江戸時代の安政年間(1854〜1860)の頃から元名水仙として江戸に運ばれていました。現在は年間800万本が出荷されています。鋸南町の水仙の歴史は古く、鋸南町史によると、起源についての記録は残っていないが、「秀東寺(鋸南町大帷子)の和尚が中国から水仙を持ち帰って植え、それが広まったのが保田水仙のはじまり。故にある時代までは秀東寺と呼んでいた」と古老が聞き伝えている。とあります。】

高宕山、三島神社→高宕山、怒田沢、スイセン
【撮影】11時06分=伊藤 幸司
スイセンの花を傍らに咲かせつつ春を待つ稲田、だと思うのです。歩いて15分ほどの三島神社のところには灌漑用水としての三島湖も準備されて、房総半島の農民にとっては千年の夢がここに実現した風景ではないかと思いました。シロウト的な観察ですけれど。

高宕山、三島神社→高宕山、怒田沢
【撮影】11時08分=伊藤 幸司
地図上ではグニャグニャと微小な蛇行をしている頼りげない川の谷あいに、おっとりした農家もありました。

高宕山、三島神社→高宕山、怒田沢林道、高宕林道
【撮影】11時13分=伊藤 幸司
いよいよ道は山へと向かいます。この道標にも道路状況に関するなんのメッセージもありませんでした。高宕山の山頂までは行けそうだ、という印象を持ちました。

高宕山、三島神社→高宕山、怒田沢林道、高宕林道
【撮影】11時14分=伊藤 幸司
怒田沢の集落から、怒田沢林道を進みます。

高宕山、三島神社→高宕山、怒田沢林道、高宕林道
【撮影】11時15分=伊藤 幸司
待望の通行関係の道路標識です。【倒木のため 通行止め 千葉県中部林業事務所】とありました。この林道が通行止めという車に対する「現在情報」ですから、私たちにとってはこれが登山者に影響するかどうかです。
常識的に考えて「車じゃなければ行けるかも」という意味です。「行けない」「行けないかも」「行けけるかも」「行ける」のどれを選択するかは自分たちの問題ですが、10分交代中の先頭はもちろん「行ける」を選択しました。

高宕山、三島神社→高宕山、怒田沢林道、高宕林道
【撮影】11時15分=伊藤 幸司
道はきれいに開通していますが、小枝類はバサバサ落ちたような気配です。

高宕山、三島神社→高宕山、怒田沢林道、高宕林道、怒田沢トンネ
【撮影】11時16分=矢野 博子
原始的なトンネルがいくつか現れた。掘った跡が 生々しいが どの位前に出来たものだろう。

高宕山、三島神社→高宕山、怒田沢林道、高宕林道、怒田沢トンネル
【撮影】11時18分=伊藤 幸司
トンネルが出てきました。房総半島にはやわらかな砂岩、泥岩が広がっているのですが、ここなどはツルハシで手掘りするのも可能なような(素人考えですみません)トンネルです。
名前がついていませんが、おそらく「1号怒田沢トンネル」だと思います。

高宕山、三島神社→高宕山、怒田沢林道、高宕林道、怒田沢トンネル
【撮影】11時19分=伊藤 幸司
ひとつ目のトンネルを抜けるとすぐに2つ目がありました。

高宕山、三島神社→高宕山、怒田沢林道、高宕林道、怒田沢トンネル
【撮影】11時20分=伊藤 幸司
ここにはまた車両に対する通行止め表示がありましたが、左方向に矢印のついた【高宕山探鳥路】という道標があって、ここが【高宕山遊歩道入口(八良塚・監視所コース起点)】だとわかります。その登山ルートに関する現在の情報はありませんでした。私たちは八良塚から下ってくる可能性を考える必要があるので、このルートに関しては通過可能かどうかのはっきりした情報がほしかったのですが、安易に「問題なし」とはいいにくい状態としておきました。

高宕山、三島神社→高宕山、怒田沢林道、高宕林道、怒田沢トンネル
【撮影】11時21分=伊藤 幸司
2つ目のトンネルが終わると、すぐに3つ目のトンネルになりました。
これについてはトンネルマニアのレポートがありました。『道にあるちょっと古いもの トンネルや橋など、ちょっと古めの道路構造物を訪ねた記録』というサイトの『千葉・トンネル』の『3号怒田沢トンネル』(May 29 2014)です。
【君津市怒田沢の林道高宕線。2号隧道の西にすぐ次の隧道があるのが見える。上の地図を見ても明らかだが、ここは隧道過密地帯。
それにしても切り立ったところに坑口が、、、と思いながら写真を見返していたら気がついた。ひょっとして、2号とこの3号、もともとは一本の隧道として繋がっていたんじゃね?
振り返って2号隧道を見ると、切り立った断面が左右対称だし!
今昔マップで1972〜1982年の地形図を見ると、案の定というべきか、トンネルが一本少ない。しかも、東から2本目はちょっと長めに記されている。これって、ひょっとして奥米隧道(リンク先のdoodoongoo氏のレポを参照のこと)のように途中で崩れちゃって2本に分かれちゃったパターン?】
【「3号怒田沢トンネル/平成5年5月/君津市大字怒田沢地内/延長37.5M 幅4.0M/高4.5M/千葉県」
連結していた疑惑はさておき、2号隧道があの素掘りっぷりなので、この平成5年5月というのがオリジナルの竣功時期とは考えがたい。そもそも1972〜1982年の地形図には既に描かれているわけだし。ということで、これは改修時期なのだろう。この時にライナー補強されたのかな?】

高宕山、三島神社→高宕山、怒田沢林道、高宕林道、怒田沢トンネル
【撮影】11時22分=伊藤 幸司
3号トンネルを出るところです。

高宕山、三島神社→高宕山、怒田沢林道、高宕林道、怒田沢トンネル
【撮影】11時24分=伊藤 幸司
4号トンネルの手前で10分休憩しました。風がないので楽でしたが気温は6℃でした。

高宕山、三島神社→高宕山、怒田沢林道、高宕林道、怒田沢トンネル
【撮影】11時35分=伊藤 幸司
4号怒田沢トンネルを進みます。デジタルカメラがすごいのは、照明のないトンネルの中で、しかも歩きながらシャッターを切ってこんなふうに撮れてしまうことです。
私は暗いところでフラッシュが光るのがいやなので、フルオートではなくて露出だけを勝手に適正にしてくれるP(プログラムオート)にしています。加えて、フルオートのピント合わせだと撮りたいものが画面のどこにあってもそこにピントを合わせてくれますが、画面中央にピント調整を固定すると、その状態で露出も測るので、すこし違う明るさで撮りたいときには、ピント位置(画面中央)を同じ距離の違う明るさのところに合わせて、シャッターを半押ししながらフレーミング(ファインダー画面)をもとに戻してシャッターを切ります。
ともかく、このトンネルの肌は削り出しの素肌みたいですね。

高宕山、三島神社→高宕山、怒田沢林道、高宕林道
【撮影】11時43分=伊藤 幸司
道路に直接の被害はなかったようですが、危険な崩落があったのですね。谷は小さいながら驚くほど深いようです。

高宕山、三島神社→高宕山、怒田沢林道、高宕林道
【撮影】11時43分=伊藤 幸司
見上げると、急な崖にセメントを吹き付けた「法面(のりめん)保護工」の最上部が崩れたようです。

高宕山、三島神社→高宕山、高宕林道、林道高宕線三叉路
【撮影】11時48分=伊藤 幸司
【林道高宕線三叉路】というところにきました。右側に行くと2.2km先に【林道高宕線起点】があって、1.1kmのところに監視所コース起点(高宕監視所)があるとのこと。左に行くと0.2kmのところに【高宕大滝コース起点】があって、1.1kmまで行くと【高宕大滝コース終点】すなわち【高宕山頂下分岐】となるとのこと。高宕大滝方面への林道は、別の標識に【林道高宕支線】とありました。
私たちが歩いてきた林道怒田沢線は旧名で、この【三叉路】まで【林道高宕線】となったのだそうです。怒田沢集落のどこかで【林道高宕線】という標識を見落としていたようです。

高宕山、三島神社→高宕山、高宕林道、高宕大滝
【撮影】11時51分=伊藤 幸司
三叉路から林道を歩くこと約数分。高宕大滝が現れてくるはずです。
林道の先に見えている看板には次のように書かれています。
【高宕大滝──高宕山系を源に流れる高宕川の上流に位置する大滝がこの高宕大滝で、市域内の滝では最も落差が大きく約30mあります。
河床から見上げる黒味がかった懸崖は、凝灰岩層を挟む固い砂泥互層が傾斜して重なっています。
清流が、薄い幾枚もの岩盤の段を小刻みに音をたてて、白い泡となって走りながら滝つぼに落下する眺めは、房総らしい静かな滝の姿を見ることができます。
近年は、用水の取水により水量が少なくなってきていますが、雨の日の翌日などには水量豊富な高宕大滝見られるとともに、滝から続く「自然遊歩道」を高宕山、八郎塚へと歩く眺めは、四季それぞれの趣があります。】

高宕山、三島神社→高宕山、高宕林道、高宕大滝
【撮影】11時53分=伊藤 幸司
これが林道の看板から見下ろした高宕大滝です。たくさんの折れ枝に対して、流れは一筋……でしたけれど。

高宕山、三島神社→高宕山、高宕林道、高宕大滝
【撮影】11時54分=伊藤 幸司
高宕大滝の落口のところから、いよいよ登山道が始まりました。

高宕山
【撮影】11時55分=伊藤 幸司
今日始めてなんです。登山道を踏んだのは。この登山道はしっかり作られて、ずいぶん多くの人が歩いているという感じがしました。

高宕山、高宕大滝→高宕山
【撮影】11時56分=伊藤 幸司
高宕大滝のところが標高約150m、高宕山山頂は標高330mです。まあ、かなり小さな山ですが、房総半島の山は標高差だけで想像するとかなり大きな間違いを犯します。さて、お楽しみ……です。

高宕山、高宕大滝→高宕山
【撮影】12時02分=伊藤 幸司
あたりはスギ・ヒノキの人工林。林道が山ひだの奥まで入り込んでいたのも、こういう植林活動が広範囲で行われているから、なんですね。

高宕山、高宕大滝→高宕山
【撮影】12時06分=伊藤 幸司
こういう不思議な岩がこの稜線をつくっています。海底に堆積した砂や泥が層をつくって、押し固められたのちに地上まで持ち上げられたということなのです。岩というべきか砂というべきか私にはわかりませんが、砂岩とか泥岩という感じがここにはよく見てとれます。
br> 高宕山、高宕大滝→高宕山、倒木
【撮影】12時06分=伊藤 幸司
これは最近登山道でよく見る光景なんですが、根が岩から剥がされて倒れた木です。灌木のたぐいですから根が浅くて踏ん張れなかったという印象ですけれど、堂々たる巨木だって倒れてみれば、こんなもんです。

高宕山、高宕大滝→高宕山
【撮影】12時07分=伊藤 幸司
雨の日には滑るんですかね、とりあえずきちんと歩いていれば安心、安全、楽ちん、という感じの登山道です。

高宕山、高宕大滝→高宕山
【撮影】12時09分=伊藤 幸司
かなり登ってきて「空に近い」雰囲気になってきました。ここなどは岩稜を削り込んで「道路」がつくられているではありませんか。

高宕山、高宕大滝→高宕山
【撮影】12時10分=伊藤 幸司
周囲が見えてくると、遠い山の中に大きな建物が見えてきました。なんだかわかりません。

高宕山、高宕大滝→高宕山
【撮影】12時10分=伊藤 幸司
広角画像で見てみると、左手に広い面積の施設があるように思われます。右側にある白い建物とは道路でつながっているようです。もうすこし高いところからじっくり見れば、なにか分かる感じです。

高宕山、高宕大滝→高宕山
【撮影】12時14分=伊藤 幸司
登って、登って、登りきろうという勢いです。

高宕山、高宕大滝→高宕山
【撮影】12時15分=藤原 由香里
階段を登りきると突然視界が開けます。ここにはベンチがありました。少し座って景色を眺めながらお茶を飲みたい気持ちでした。

高宕山、高宕大滝→高宕山
【撮影】12時16分=伊藤 幸司
見晴らしのいい稜線に飛び出しました。正面に見える丸みのある盛り上がりが山頂なのか、その左の木が突起をつくっているところなのか、まだわかりませんが。

高宕山、高宕大滝→高宕山、高宕観音の岩峰
【撮影】12時17分=伊藤 幸司
後ろを振り向くと、先ほどちらりと見た大きな施設が見えました。画面右端に先ほど大きく写した白い建物のはしがチラリと写っています。でも、それより、手前の左側におどろおどろしい岩峰が見えています。高宕観音の岩峰でしょう。

高宕山、高宕大滝→高宕山、鹿野山ゴルフ倶楽部
【撮影】12時17分=伊藤 幸司
ここに見える三角屋根を乗せた建物はグーグル・マップの航空写真でわかりました。鹿野山ゴルフ倶楽部のクラブハウスなんですね。緑の屋根の上に白い三角屋根と透明感のある小さな屋根を確認することができました。すると疎林の広がりはゴルフコースということになります。

高宕山、高宕大滝→高宕山
【撮影】12時18分=伊藤 幸司
ここからまた、狭い稜線をたどります。

高宕山、高宕大滝→高宕山
【撮影】12時19分=伊藤 幸司
濡れるとけっこう滑りやすい岩のように思われます。そういう場合、ここで恐怖心を煽られる初心者がいたら、私は常備している軽アイゼン(4本歯)をつけてもらうかもしれません。濡れた木の橋などと同様、心理的不安が思わぬ(危険な)行動を引き起こすことがあります。(濡れた石のところで怖さから走った人がいて、肝を冷やしたことがありますし、苔むした石の太鼓橋で転んだ事故も発生したことがあります。)

高宕山、高宕大滝→高宕山、崩落
【撮影】12時22分=伊藤 幸司
こんどは複雑骨折みたいな木が道を塞いでいました。上部の斜面が崩落したようです。登山道も崩れたようですが、ステップが切られ、ロープが張られていました。私たちには十分「通行可能」な補修です。
『房総の山親爺』という人のサイトに『2019年房総の山々』があって、『12月8日 高宕山』にこの場所の記述がありました。
【台風15号の爪痕を確認しながら整備状況確認のために歩くことにしました。7日予定していたが雨のため8日に延期したが当初通りのメンバーが参加してくれることになり、その中に市原の植物博士の坂上さんも同行してくれることになり頼もしき限りです。彼は今回の荒れた登山道の整備に市原から毎日の如く駆けつけてくれていて頭が下がります。
今年の紅葉は例年より遅く、林道は期待以上の花盛りを見せてくれます。荒廃していた林道は、我々が11月2日に人が歩ける程度に修復していたのが、更にチェーンソーで大木が切断されて尚一層歩きやすくなっていて、小学生連れの家族も歩いてくれていました。
大滝からの登りの難所の一か所もロープが張られステップも刻まれて石射太郎登山口〜高宕山〜大滝〜登山口の一周コースは殆ど問題なく歩けるのではないかと思いました。晴れ日の日曜日とあって駐車場は満杯で高宕山に登山者が戻ってきてくれていて嬉しいものです。】

高宕山、高宕大滝→高宕山
【撮影】12時24分=伊藤 幸司
まるで寺社の境内から裏山に登るような道に見えますね。

高宕山、高宕大滝→高宕山、蛙石
【撮影】12時29分=伊藤 幸司
岩の上に張り付いた大木を見るといつも奇跡みたいに考えていましたが、最近『最新 樹木根系図説』(苅住 昇・2010年・誠文堂新光社)という大著を見て認識を改めたんです。日本の主要樹木562種の根の形態をこまかく図示してあって、もちろんいろいろな根の張り方があるのですが、自分の姿勢を維持するための根をできれば深く伸ばしたいけれど、生きるために必要な根はひげ根は地表近くに茂らせて、空気のあるところで水分や微生物との栄養分のやり取りをしているというのが真相だと感じました。
写真のこの木は頑丈な根で自分を支えつつ、岩盤上のささやかな土壌に細根を伸ばして成長してきたのでしょう。
考えてみれば巨木もからだのほとんどはすでに死んでいて、生きているのは樹皮の下の薄皮1枚と葉緑素を作る葉、そして貧弱な細根だけ、という経済的な生命体なんですね。

高宕山、高宕大滝→高宕山、蛙石
【撮影】12時30分=伊藤 幸司
こちらから振り返ると、岩の部分はカエルでした。

高宕山、高宕大滝→高宕山、人工林
【撮影】12時31分=伊藤 幸司
頂上稜線らしいところに出て山頂は目前と思ったのに、こんなすごい植林地帯に迷い込んだ感じです。房総の山では、首都圏のふつうの山歩きより圧縮された変化を感じることが多いと思います。

高宕山、高宕大滝→高宕山、人工林
【撮影】12時33分=伊藤 幸司
真っ直ぐ行くのかと思ったらここで下りがはさまります。当然、なにかを避けて迂回するんでしょうね。1/25,000地形図では高宕山の山頂はもう目と鼻の先という感じなんですけれど。

高宕山、高宕大滝→高宕山、人工林
【撮影】12時35分=伊藤 幸司
ここで初めて、靴がもぐりそうな湿った土になりました。

高宕山、高宕大滝→高宕山
【撮影】12時41分=伊藤 幸司
このあたり、後になって1/25,000地形図でたどってみると、250m等高線がグニャグニャと複雑な動きをしていて、10m程度のアップ・ダウンがあるんですね。歩いているといいように振り回されているような気分です。

高宕山、山頂下分岐→高宕山、高宕山頂下分岐(高宕大滝コース終点)
【撮影】12時43分=伊藤 幸司
ここで石射太郎(いしいたろう)山登山口からの道が合流します。つまり標高約300mの山頂稜線に出たのです。
じつはこの時点では高宕山をめぐる登山ルートの地名に馴染みがないため、この先で情報として必要になるかもしれないと思って道標はひと通り全部の情報を撮っておきました。(下山ルートの検討のために、見直す必要があるかも知れませんから)
この写真でいえば、この地点は標識の支柱にありますが【高宕山頂下分岐(高宕大滝コース終点)】で私たちが登ってきたのは下向きの標識です。【高宕大滝・林道高宕支線(高宕大滝コース起点)0.9km、林道高宕線三叉路1.1km】とあり、向こう側、すなわちここでは文字が読めない状態ですが、みなさんが歩いている上方に対しては【高宕山頂 0.3km】となっています。
左右に広がる標識では、右側にあるのが【石射太郎山登山口 2.8km】から登ってくる登山道で、【石射太郎山 2.2km、高宕観音0.1m】とあります。先ほど見た狩野山の方向から登ってきます。
左に行くと高宕山頂を巻く道なんだと思いますが【ふれあいの道分岐 1.7km、国道410号奥畑バス停 3.0km】となっていて、石射太郎山登山口から国道410号奥畑バス停へと抜ける道が関東ふれあいの道として整備されているという意味なんです、あとでわかったことですけれど。

高宕山、山頂下分岐→高宕山
【撮影】12時46分=伊藤 幸司
【高宕山頂下分岐】から山頂まで距離300mの稜線です。1/25,000地形図の等高線で見る限りでは標高差約60mの登りです。

高宕山、山頂下分岐→高宕山、ロープ
【撮影】12時47分=伊藤 幸司
ロープ(といってもトラロープですけれど)を垂らした斜面を登ります。

高宕山、山頂下分岐→高宕山、富士山
【撮影】12時50分=伊藤 幸司
東京湾の向こうに富士山がありました。房総半島の山の楽しみのひとつは富士山ですから、これなら山頂で気分良く過ごせるはず。

高宕山、山頂下分岐→高宕山、ハシゴ
【撮影】12時52分=伊藤 幸司
今度はハシゴがありました。念のためでしょうがクサリを垂らしてあります。

高宕山、山頂下分岐→高宕山、ロープ
【撮影】12時53分=伊藤 幸司
それで終わりかと思ったら、またロープ。

高宕山、山頂下分岐→高宕山
【撮影】12時55分=伊藤 幸司
大きな岩があって、右方向には【危険】、左方向には【迂回路】という標識がありました。この【迂回路】という指示がちょっとした混乱の元になるのです。
ともかく、この大岩のてっぺんが高宕山の山頂だったのです。

高宕山、山頂
【撮影】12時57分=伊藤 幸司
大岩の反対側に回り込んで、階段を上りました。

高宕山、山頂
【撮影】12時58分=伊藤 幸司
これが山頂への最後の一歩。なかなかドラマチックな仕掛けを作り上げたものです。

高宕山、山頂
【撮影】13時00分=伊藤 幸司
高宕山山頂での記念写真。三島神社の鳥居のところで歩きだしてから2時間10分、高宕大滝で登山道になってから1時間05分ということになります。房総半島の山では時間の目盛りがちょっと細かくなるように感じます。

高宕山、山頂、富士山
【撮影】13時00分=伊藤 幸司
富士山がポカリと浮かんでいました。

高宕山、山頂
【撮影】13時05分=伊藤 幸司
気温を測りませんでしたが、風がずいぶん冷たくて、何人かが岩陰に下りました。でも手袋なしでも済む程度。4号トンネルで休んだときに6℃でしたから、だいたい同じような気温だったと思います。

高宕山、山頂、マザー牧場
【撮影】13時06分=伊藤 幸司
先ほど見た鹿野山の左に観覧車がありました。マザー牧場です。

高宕山、山頂、マザー牧場
【撮影】13時06分=伊藤 幸司
これがマザー牧場のほぼ全域でしょうか。鹿野山はこの右手になります。

高宕山、山頂
【撮影】13時13分=伊藤 幸司
ここに見える踏まれた地面が山頂です。ポカポカと暖かければもっとゆっくりしたと思いますが、順次逃げ出すような感じになりました。

高宕山、高宕山→奥畑バス停、山頂直下
【撮影】13時16分=伊藤 幸司
山頂の大岩から降りて、なんとなく集合しましたが、数えてみるとひとり足りないのです。下山路がパッとわからずに、このあとドタバタ状態になるのですが、本当なら12時43分の【高宕山頂下分岐(高宕大滝コース終点)】まで戻って【ふれあいの道分岐 1.7km、国道410号奥畑バス停 3.0km】を行くべきだったのでしょうが、そこに「八良塚」という名がなかったので、私は「戻るべき」という判断ができませんでした。「ふれあいの道分岐」というのがどこかわからなかったからです。足りなくなっていたひとりも、道を戻る方向を先取りして休んでいたのです。

高宕山、高宕山→奥畑バス停、山頂直下
【撮影】13時24分=伊藤 幸司
戻るべきだと思う前に頭にあったのが、山頂の大岩にぶつかったときあった12時55分の【迂回路】という小さな標識。当然、大岩を左側から回り込んで向こうに抜ける道を示しているという意味にしかとれません。
たしかにそういう道があったのです。でもなんとなく通りにくくなっている。でも台風被害のあとですから、かろうじて通れる状態にしてくれたと思われました。1/25,000地形図も登山道は高宕山の山頂から「向こうへ」と伸びています。

高宕山、高宕山→奥畑バス停、山頂直下
【撮影】13時29分=伊藤 幸司
とりあえず先に進むと、急斜面に出たのです。関東ふれあいの道としては急斜面で、登りで見たような階段もクサリもありません。でも下の方にロープはあるのです。

高宕山、高宕山→奥畑バス停、山頂直下
【撮影】13時30分=伊藤 幸司
台風にやられて登山道がかなり荒れた状態になってしまった場所のように見えました。足元はかなり悪くて悪戦苦闘する人も出そうですが、元気な人と偵察として下ってみると、下れました。

高宕山、高宕山→奥畑バス停、山頂直下
【撮影】13時34分=伊藤 幸司
振り返るとこんな状態です。

高宕山、高宕山→奥畑バス停、山頂直下
【撮影】13時44分=伊藤 幸司
みなさん、なかなか苦労されました。

高宕山、高宕山→奥畑バス停、山頂直下
【撮影】13時47分=伊藤 幸司
この変則的な急斜面を下るのに、20分近くかかりました。
そして下ってみると、関東ふれあいの道の立派な道があったのです。私たちは一般登山者にはあまりおすすめではないショートカットのルートを下ってしまったようです。正規のルートはやはり12時43分の【高宕山頂下分岐(高宕大滝コース終点)】まで戻って【ふれあいの道分岐 1.7km、国道410号奥畑バス停 3.0km】へと進むべきなんだということです。

高宕山、高宕山→奥畑バス停、倒木
【撮影】13時51分=伊藤 幸司
高宕山の先は、これまでとは全く違う被害状況でした。
12時22分のところで紹介した『房総の山親爺』さんの『2019年房総の山々』に『11月29日 高宕山』『台風15号の爪痕残す監視所コース』がありました。
【今日の目的のもう一つは八郎塚分岐から高宕山までの「関東ふれあい道」の登山道状況です。崩壊地が三か所あって高巻きしたり設置されたロープを頼りに(ロープの張りが緩すぎてかなり振られるので要注意)して関豊からの合流地点のベンチから先の崩壊地完全に塞がっていて高巻するが完全に方向を間違っているようで、GPSで高宕山315m三角点方向を目指して登山道に出ることが出来ました。
時間が遅くなっていたが山頂に登って夕暮れの眺望を堪能して、移り変わる空色の変化に下弦の月と宵の明星・金星を眺め、モミの木のテラスで暮落ちる闇空を見納めしてヘッデンを付けて無事下山出来ました。
結論として、監視所コースは我々で整備するには無理で、当分アドベンチャーコースとして楽しみ。八郎塚分岐から高宕山までは手を入れて安全に歩けるようにしたいものです。
PS;登山口に戻ったら千葉NOの車が1台、もしかしたら八郎塚下ですれ違った青年かなと心配していたが、翌日、地元のHさんから21:00頃車が下って行った、再確認に駐車場を見てもらったらその車はいなかったとのことで安心しました。
TVで高宕山遭難ニュースがあったと聞いたので、君津警察署に聞くと遭難騒ぎで終わったとのことだった。】
まさにその【八郎塚分岐から高宕山までの「関東ふれあい道」の登山道状況です。崩壊地が三か所あって】が始まったのです。

高宕山、高宕山→奥畑バス停、倒木
【撮影】13時52分=伊藤 幸司
たしかに、チェーンソーで倒木が処理されていなかったら、藪こぎ以上の難所だし、道筋がわからなくなる危険もあったのでしょう。いろんなひとがかけつけて「ともかく通れるように」というのが11月の状態だったのでしょう。

高宕山、高宕山→奥畑バス停、倒木
【撮影】13時52分=伊藤 幸司
このルートが「通過できる」と知っていなかったら、当然この状態では引き返します。でも行けるとしても、私たちの技術レベルで「通過できる」かどうかは、わかりません。技術レベルの低い人の「怖かった」というレポートがあれば、グレードの判断ができるのですが、この道をヘッドランプで歩ける人のレベルだと、やはり安心はできません。先への不安がどんどん大きくなったりしてきます。

高宕山、高宕山→奥畑バス停、崩落
【撮影】13時54分=伊藤 幸司
ここが崩落地のひとつのようです。りっぱな高巻きルートができていました。ありがとうございます。

高宕山、高宕山→奥畑バス停、崩落
【撮影】13時55分=伊藤 幸司
このレベルで道つけが行われているということは、関東ふれあいの道のハイカーを意識して、安全なルートを整備しようと努力されたのだとわかります。
探検登山者レベルの道つけだったら、赤布と呼ばれる目印や、邪魔な枝打ち程度からはじまります。ナタですむ範囲、ノコギリの登場、その先にチェーンソーやスコップということになるのでしょう。
私が大学探検部にいたころには、ナタが基本装備でした。アフリカや北アメリカでは刃渡り50cmほどの蛮刀(ブッシュナイフ)が安くて万能、いまも1本、紙の鞘に入れて持っています。
ちなみに私の仲間がサバイバルナイフといわれるものを持っているのを見たことがありません。キャンプ生活で必要だと思う刃物は包丁(クッキングナイフ)とカッターナイフ、それからハサミ(キッチンバサミか和バサミ)、だと私は思っています。捕らえた動物を処理するために高性能のナイフが必要といわれますが、アフリカや北アメリカの猟師たちが持っているナイフは安物ですが、砥石とセットで使います。
ここで道普請をした人たちの仕事ぶりを見てみたかったと思います。燕岳への登山道では燕山荘の人たちが道の修理をしているのに出会ったことがありますが。

高宕山、高宕山→奥畑バス停、倒木、崩落
【撮影】14時08分=伊藤 幸司
根こそぎですね。山の中で倒された木の、この根の状態にはいつも疑問を感じていました。古くなって根のかなりの部分がなくなったんじゃないかと思っていたのですが、基本的に幹の中心部にある根は地中に太く長く伸びていこうとしますが、細い根が地表のすぐ下を四方に広がって細根というのだそうですが、信じがたいほど細い、毛のような根を生やしているようです。だからこの根っこ風景は、これでまだかなり正直な姿なのです。

高宕山、高宕山→奥畑バス停、崩落
【撮影】14時13分=伊藤 幸司
崩落があったのですね。登山道で足場を確保しにくくなったので山側にロープを張って、バランスを崩させまいという設定のようです。心理的な安心感以上のものではないとしても、多分このロープで「慎重に」というメッセージが伝えられているのだと思います。
登山道で安全を確保しようとするロープについては、安易に頼らない(頼ると逆効果になることが多い)ということがみなさんに浸透しているので、まずは先頭の人の動きを見ます。そこで私が不安を感じたら一度全員を止めるのです。登山道のロープはそれを頼ろうとする人の動きを見やすくするという意味で、微妙な表現力をもっているともいえます。

高宕山、高宕山→奥畑バス停、崩落
【撮影】14時13分=伊藤 幸司
このあたりは、最初は登山道を掘り出したのでしょうか。恐怖心を感じさせる断崖だったら、相当危険なものになったといえそうです。風だけでなく、雨も破壊的な量だったのでしょうか。

高宕山、高宕山→奥畑バス停、崩落、倒木
【撮影】14時14分=伊藤 幸司
こういう光景は写真にすると派手ですが、危険度は小さくなります。ここまで根が洗われてしまった、ということなのでしょう。

高宕山、高宕山→奥畑バス停
【撮影】14時18分=伊藤 幸司
こういう場所では木はおたがいの根を絡ませて生きていいるのでしょうか。一蓮托生という生き方が、この木たちにはあったのでしょうか。私たちは軽くくぐり抜けていくのですが、すごいことがあったのですね。

高宕山、高宕山→奥畑バス停
【撮影】14時22分=伊藤 幸司
穏やかな道になりました。2019年9月の台風15号は「令和元年房総半島台風」と命名されたように、房総半島各地に「激甚災害」を引き起こしました。
『ウィキペディア』の『令和元年房総半島台風』は力作です。
【気象庁によると、台風は小笠原近海を北西に進みながら徐々に発達し、8日21時には神津島付近で再発達し中心気圧955hPa・最大風速45m/sの「非常に強い」勢力であると判定された。この勢力を保ったまま台風は三浦半島に接近、9日3時前に三浦半島を通過した。台風の中心は東京湾に抜けて北東に進み、9日5時前には千葉県千葉市付近に上陸した。台風が「非常に強い」勢力(JTWCの1分間平均風速ではカテゴリー3相当でJTWCではカテゴリー4レベルの風速とされた。)を保ったまま関東の至近距離まで接近するのは非常に珍しく、千葉市付近に上陸するときの勢力は中心気圧960hPa・最大風速40m/sの「強い」勢力であったが、上陸時の勢力は関東としては過去最強クラスとなった。その後、茨城県水戸市付近で海上に出た台風は、福島県や宮城県を暴風・強風域に巻き込みながら東進した。】
最大瞬間風速は国土交通省の発表の1位から5位が次のとおりとのことです。
1……58.1 m/s(209.2 km/h): 神津島
2……57.5 m/s(207.0 km/h): 千葉
3……52.0 m/s(187.2 km/h): 新島
4……49.0 m/s(176.4 km/h): 木更津
5……48.8 m/s(175.7 km/h): 館山
この台風では「市原ゴルフガーデン」でボールネットを支える高さ10メートル以上の複数の鉄柱が風圧によって倒壊しましたが、【この台風により、千葉県内で送電塔2本と電柱84本が倒壊したほか、推計約2000本の電柱が損傷し、神奈川県と千葉県を中心に9日時点で93万戸が停電した。関東の広域で停電が発生したが、特に千葉県内では野田市、我孫子市、浦安市の3市以外の全ての自治体で停電が発生し、9日午前8時のピーク時で約64万戸に及んだ。その後の復旧に時間を要したことにより、停電は異例の長期に及んだ。】
【安房地域を対象に発行している房日新聞は、東京電力Webサイトからの情報として、10日から24日まで発行日毎日の紙面で停電軒数を報じ続けた。10日午前11時の時点では、館山市は約24,700軒、鴨川市で約18,100軒、南房総市で約23,000軒、鋸南町で約5,200軒が停電していたが、21日午後2時すぎの時点では館山市で解消、24日午後2時すぎの時点では、鴨川市が100軒未満、南房総市・鋸南町で各約400軒となった。】

高宕山、高宕山→奥畑バス停
【撮影】14時23分=伊藤 幸司
道はたちまちハイキングの気分になりました。が、この先がどうなっているのか、まだわからないのです。
すでに2回読ませていただいている『房総の山親爺』さんが台風15号の被害を見に、最初に高宕山に向かったのは9月17日でした。
『9月17日 高宕山修復に パート I』です。
【今日は登山口まで車で入れるようにすれば、登山道の整備が捗るのではと思った。土砂除去・倒木竹の切断と除去でなかなか進まない。装甲車みたいな自衛隊のジープに単車が2台やってきたので応援かな〜と思ったが、彼らは尾根越の台倉集落を目指して倒木が多いとのことで偵察にきたらしく、ルートを教えて又一人作業に入った。
でっかい倒木に絡まる蔦をチェーンソーで切りやすくするため取り除き先に進むとやはりでっかい倒木が四ヶ所あって登山口にようやく到着です。歩くと10分程度のところを2時間20分も要している。】
そして翌日には「シルバー山パト(パトロール)メンバー3人と登山口のチェックです。
『9月18日 関東ふれあい道』
【山パトリーダーの磯部さんから電話、24日本番の下見に行こうということになった。先ずは香木原コースのスタート地点には倒木で行けなく下山口を登ること数分で倒木が登山道を塞いでいて、その先に進むも更に酷い。
次の奥畑登山口には右斜面から倒木が登山道を完全に塞いでいて先には全く進めない。この除去は我々では対処できない。
次は石射太郎登山口に向かう。昨日、大きな倒木以外は除去していたので、今日は登山口から登ってみるも障害物競争みたいで直ぐに諦めて退却します。
シルバーセンターに戻って今後の対応を伊藤係長と相談。市道の倒木除去はシルバー対象外なので無視してくださいとのこと。市に報告して極力早く処置方をお願いする。
自分としては石射太郎登山口まで車で入れるようになると、登山道整備されている方々の助力で前に進むのではと思っている。
登山口より上は、次回山パトメンバーで安全第1でどれだけ対応できるか10月に行ってその進捗でその後の対応を考えることになった。
それにしても高宕山は壊滅状態で、房総の山々も同様だろうと思う。】
『9月19日 高宕山修復に パート II』
【石射太郎登山口から先の様子見に出掛けた。登山道に横たわる杉の丸太3本を潜って進むと手に負えない杉の木が完全に登山道を塞いでいて迂回して杉林を抜ける。以前と変わらない風景で、このまま順調に進めるのかな〜と思っていたら、石射太郎斜面からなぎ倒された木で完全に塞がれていて、その中を跨いだり潜ったりして抜けて鞍部に出た。通常なら20分弱のところを2倍の時間を要している。】
【尾根に出ると枯れ枝で荒れてはいるものの歩くには大して支障なく、時間をかけて片付けできるなーと思っていたが樅の木のテラスに出ると何とその主の樅ノ木が無く、西側に落ちて倒れている。呆然として佇んでいた。気を取り直して宇藤原・高宕山の分岐まで降りてみたが倒木で荒れ果てている。もう山頂まで足を進める気力なく次回に持ち越しして戻った。
県には「関東ふれあい道」の惨状が多数寄せられているとのことで、県市が修復に当たるのは何時のことかわかりません。君津市のHPにも入山禁止がアナウンスされると思います。山に不慣れな人には入山はお薦めできないです。】
私たちはいま、その「関東ふれあいの道」を歩いていて、八良塚経由で今朝通った怒田沢林道の「2号怒田沢トンネル」入口の「高宕山遊歩道入口(八良塚・監視所コース起点)」へ下るか、関東ふれあいの道をこのままたどって【国道410号奥畑バス停】に出るかのどちらを取るべきか、選択を迫られている状況なのです。

高宕山、高宕山→奥畑バス停
【撮影】14時24分=伊藤 幸司
この分岐は1/25000地形図に出ています。関東ふれあいの道を外れて三郡山(郡界尾根コース)へと迷い込むことを防ぐ注意書きがあります。
ところが問題。関東ふれあいの道の正式な道標の【下の台バス停 3.4km】がこれまで示されていた【国道410号奥畑バス停】とどうつながっていくるのわからないのです。
【高宕山頂下分岐(高宕大滝コース終点)】で【ふれあいの道分岐 1.7km、国道410号奥畑バス停 3.0km】とあった【ふれあいの道分岐】もまだ不明であり、【国道410号奥畑バス停 3.0km】がまだなのに、ここから3.4km先の【下の台バス停】が別のルートを示しているのか、その先にあるという意味なのかわからないのです。【←小倉】という手書きの案内板も奥に見えていますが、それってどこ?。

高宕山、高宕山→奥畑バス停
【撮影】14時28分=伊藤 幸司
このままのんびり行けるかと思っていたら、道はたちまち荒れてきました。

高宕山、高宕山→奥畑バス停、倒木
【撮影】14時30分=伊藤 幸司
複数の木が、運命をともにして倒れていました。

高宕山、高宕山→奥畑バス停、倒木
【撮影】14時31分=伊藤 幸司
道が塞がれていて軽く迂回しないと通れない状況のようです。

高宕山、高宕山→奥畑バス停
【撮影】14時37分=伊藤 幸司
ここでは赤布でルートを示されています。私たちがよく体験する小さな迂回路の雰囲気です。

高宕山、高宕山→奥畑バス停、ふれあいの道分岐(八良塚コース終点)
【撮影】14時41分=伊藤 幸司
倒木(これは今回の台風のものではないようですが)にブランコをつけたベンチがありました。私がドンジリでここに着いたときにはすでに先頭グループのみなさん姿は見えない状態でした。じつはそれが、チームとしては重大なミスを犯しつつある状況だったかもしれません。チーム内には歳相応に気短な人が多く、先を急ぎ始めると止まらない、ルート情報をチェックしないで快適に飛ばしてしまう、という例がけっこう多いのです。
実はこの場所こそ【ふれあいの道分岐(八良塚コース終点)】で【国道410号奥畑バス停 1.3km】なのです。
その「奥畑バス停」はチェックしたのでしょうが、ブランコが取り付けられている倒木をくぐるか、またぐかして行く道が八良塚経由の下山ルート候補だということをチェックした人はいなかったようです。

高宕山、ふれあいの道分岐(八良塚コース終点)→奥畑バス停
【撮影】14時46分=伊藤 幸司
標高約250mのふれあいの道分岐から標高差約120mを一気に下ります。
この状況に関しては度々登場していただいている『房総の山親爺』さんの『11月11日 関東ふれあい道 山パトロール』で触れています。
【台風15号で関東ふれあい道も壊滅状態なので各コースの出入り口に入山禁止の立て札を経てるようにと連絡があったとのこと。現場を見た人の話か否か・・・ということで、実際に現場を見てから判断して欲しいと要望を出して、君津市から環境課も同行することになった。
当日の朝方は激しい雨音を聞いていたら今日は中止との連絡があったが、我が家の2Fから西の空を見ると明るく大丈夫だからと実行することにした。出発前にミーティングをして現地に出向いた。
結論は、私見ではあるが香木原コースは山パトで対応できる範疇である。奥畑から高宕山までは登山者は歩行可能であるが、関東ふれあい道として公開するには問題があり、山パトを実行して問題個所を何処まで処置できるか、出来ない箇所は市に投げかけるのだろうか。奥畑登山口には清和県民の森から立ち入り禁止の表示がすでになされていて、石射太郎登山口には「高宕山から奥畑へのコースは倒木落石等があるので危険です」の標識を掲示すれば良いのではないかと思った。
個人的に倒木処理箇所が多数見受けられ、高宕山を愛する同志の方々に感謝です。今月中に高宕山〜八郎塚分岐区間を歩いて対応方法を考えたいと思ってます。】
11月11日時点で【奥畑から高宕山までは登山者は歩行可能であるが】ということはわかっていたのです。

高宕山、ふれあいの道分岐(八良塚コース終点)→奥畑バス停
【撮影】14時53分=伊藤 幸司
崩れ落ちた柵と新しい柵ですが、新しい方も今回の台風被害対策とは考えにくいと思いました。

高宕山、ふれあいの道分岐(八良塚コース終点)→奥畑バス停、倒木
【撮影】14時54分=伊藤 幸司
これが『房総の山親爺』さんのいう【奥畑から高宕山までは登山者は歩行可能であるが、関東ふれあい道として公開するには問題があり、】という状況が残ったところなんですかね。

高宕山、ふれあいの道分岐(八良塚コース終点)→奥畑バス停
【撮影】15時10分=伊藤 幸司
奥畑バス停への、最後の下りです。たしかに何か所か通過を阻止するような被害があったとわかりましたが、現状ではまったく問題ない状態でした。

高宕山、ふれあいの道分岐(八良塚コース終点)→奥畑バス停、倒木
【撮影】15時15分=伊藤 幸司
いよいよ最後、というところで、道際の木がなぎ倒されていました。

高宕山、ふれあいの道分岐(八良塚コース終点)→奥畑バス停、倒木
【撮影】15時16分=伊藤 幸司
なぎ倒された木は、根で登山道を塞いでいました。

高宕山、ふれあいの道分岐(八良塚コース終点)→奥畑バス停
【撮影】15時17分=伊藤 幸司
迎えのマイクロバスは当初三島神社で16時としていましたが、奥畑バス停への下山と決まったときに15時30分と、時間と場所を変更しました。マイクロバスは私たちの到着を待っていてくれました。
登山口には【遊歩道 高宕山付近コース】という【千葉県立 清和県民の森】の大きな案内板があって、そこに【遊歩道 立入禁止のお知らせ】がありました。
【園内の遊歩道は、台風15号の被害により、無数の倒木や崩落があり、通行できません。危険ですので、遊歩道には立入らないで下さい。清和県民の森 管理事務所】
私たちは亀山温泉ホテルで入浴だけして、(カップ麺はありましたが、湯は出せないとのことで空腹のまま)千葉方面へのグループと東京方面(高速バス)のグループとに分かれました。



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