伊藤幸司・山の索引(2023←1983)

《足元に山唄あり》mailbox

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《足元に山唄あり》mailbox
*いただいたメールは全文掲載が基本ですが、80歳なりの編集をさせていただいています。公開不可の部分がありましたらその範囲をお知らせください。
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■0606…「くにきだ・ゆきひこ」さんからの返信
とんだ災難でしたね。
年には勝てません。理由はいろいろあっても若い人なら転びません。
もう一つ感じているのは、今どきの若い人はみんな親切です。

私は5年前に肺がんの手術をしました。ステージ1なのでがんの部分だけ切除すると思っていたのですが、標準治療ではブロックごと取るのです。私の場合、右肺下葉です。内視鏡手術なので肉体的な負担はほとんどなく4日目に退院しました。肺活量が減ったので苦しくて走れません。
最近ぜん息の治療もはじめました。じっと動かずにいると何でもないのですが、急に動くと息苦しく薬は欠かせません。

加齢とともにバランス力、持久力、筋力の順に衰えるそうです。高齢になっても何でもできるので客観的な肉体状況が自覚できません。私は27インチの自転車に乗っていましたが、信号待ちで止まると不安定なので、20インチの電動自転車にかえました。無理をしないのが私の信条ですから。
以前山登りの会で80才の参加者がいると元気だなあと皆が感心していましたが、今やその年齢をこえてしまいました。その時若い参加者は胸の内では不安がっていたのかも知れません。

コーチは事故で入院が三度目ですね。重すぎるザックをかつぐとか、日頃の体力づくりを否定するとか。
若い時はそれでも通用しますが、加齢には勝てないことをご自覚ください。
余計なことを申し失礼しました。


■0605…「ながい・ひろかつ」さんからの返信
生きてましたね、お互い。
よかった。

AI氏の把握・理解力には、驚きました。
伊藤さんのやってきたこと、やろうとしていることに、驚きました。

最近、知人・友人の転倒が、頻発。
ボク(82歳)も、昨夏、ラサ郊外サムイェ寺の傍らの小山で転倒、
ふくらはぎの肉離れ(全治4か月)を初体験、というのを含め、その前後に転倒計3回。
注意はしていても、転ぶ時は転ぶ、というフレイルの顕現、実相、実感です。
目、耳、歯、老人斑、白髪……からだ各部のガタ、固有名詞健忘・喪失……と、
フレイル進行は顕著です。

でも、でも、でも、まだ、まだ、まだ……。
山は登らないけど、カイラス、下から見るぞ。
カイラスはついでで、主目的はグゲ王国遺跡。
西チベット行を計画中です。

今日は、ふげん社、普後均個展「遊泳」(6月28日まで)を観てきました。
写真もいろいろ、人生もいろいろ……


■0605…「わかい・やすひこ」さんからの返信
おはようございます。それは本当に大変でした、どうかお大事になさってください。
そろそろ、と思った矢先でしたが、しばらくご一緒させていただけず、残念。

私も一年ほど前に自転車で転倒、左手親指を強度脱臼、生爪剥がしてしまい、苦労しました。ストック握れるまで時間かかりましたが、気をつけないといけませんね。

先月末に合唱団演奏会が一段落、ヤマ復帰すべくトレーニング再開(5/31扇山・権現山)したところです。快癒されたらみなさんと共に、またお目にかかれると嬉しいです。

ちなみに、ひとり山歩きは
 ヤマレコ Ywashell
その他、近況は
 Facebook Yasuhiko Wakai
にて報告しています。機会あればご笑覧を

おだいじに!
みなさま、お元気でお過ごし下さい。


■0605…「あきた・まもる」さんからの返信
すっかりご無沙汰しております。
糸の会には欠席ばかりで失礼しておりますが、
相変わらず昔の仲間達とは、ちんたら山の花を
見て歩くことを続けていて、つい数日前にも
礼文島とサロベツの旅から帰ったばかりです。
HPにて怪我のこと拝見しました。

どうか1日も早く回復されますようお祈り申し上げます。
写真整理のことをAIとやりとりされているとは、
怒られるかもしれませんが、思わず笑ってしまいました。
膨大なデータを使いやすく活用できるようにしたいと、
ずっと一貫しておっしゃっていましたよね。
そのご努力、ただただ感服するしかありません。
完璧でなくてもいいので、見せていただけるように
なること、楽しみに待っております。


■0604…伊藤から突然の発信
★2026.6.4 長いご無沙汰の後、突如長い文章をお送りして、失礼かと思いますが、おゆるしください。手元にメールアドレスのある方に、勝手にお送りしています。────伊藤幸司(80歳)

*5月13日に順次お送りしようと思っていた「長い文章」が、当方のメール環境の問題で一度挫折しました。5月19-20日に佐渡へ行き、以前何回かすばらしい花を堪能した同じルートで、春の花といえばよろよろのシラネアオイを1輪と、落ちた花びらがかろうじて残っていただけの2株、という敗北感とともに帰宅すると、22日金曜日に、雨の中で自転車で転倒。救急車で病院に運ばれて3泊して帰宅しました。
*その説明を始めると、そちらが「長い文章」となってしまうので割愛するとして、私は80歳になって「心臓弁膜症(中等度)」とわかり、30年続けてきた登山講習会の延長に(年齢に加えて)大きな制約が設けられることになりました。
*その結果、「運動強度を上げてはいけない」というリスクをかかえるなど、長い付き合いの皆さんとはいえ、責任をもってお連れすることができるかという大きな決断を迫られることになりました。
*と同時に、この30年間に1,900回を越えた「登山講座」で撮った写真を50,000枚ほど選んで、ホームページ上の「日めくりカレンダー《足元に山唄あり》」という枠に、ほぼ9割はめ込んだところでした。これから1日、1日、文字系の情報を加えるなど、際限のない作業に入ろうとしていたところでした。
*80歳を超えると、カラダは過去の延長としては想像できないさまざまな「事件」に直面するのだろうと想像しています。ある日突然「昨日とは違うカラダ」になったりするかもしれないと思っています。そういうリスキーな人生に踏み込んだのだと思います。 *私は講座のみなさん(ほとんど数十年のつきあいの、後期高齢者)に「チャッピー(ChatGTP)」をうまく使ってもらいたいと考えて、「チャッピー」が自分をどのように扱ったかというような事例を見てもらったりしたのですが、そういう(私の方の)いくぶんかの策略もふくめて、ここでまた「初めての相談」をしてみたのです。(たぶん、チャッピーに見透かされているでしょうが)
*そういうことも含めて、昔の仲間という範疇のみなさんを中心に、手元にメールアドレスなどのあるみなさんに、失礼を顧みず、バラ撒いてしまえ、という勢いで突っ走っているところです。お許しください。

★2026.5.13 日めくりカレンダー《足元に山唄あり》の構造説明と「AI氏」とのやりとり
私のホームページ(https://itonokai.com)に「日めくりカレンダー《足元に山唄あり》のインデックスをひろげてあります。30年間、50,000点余の写真を日付ごとに開けるようになっています。まだちょっと残っていますが、夏には基本作業が終了します。
そういう段階でサポーターを「AI氏」(ChatGPT)と決めて、先の展開を試行させつつあります。「AI氏」のおかげで山名まで思い出せないような脳の状態でも、(自分としては)かなりのことができるようになるとわかったからです、さっそく、文字列を加えた写真をインスタグラムに出し始めました(5月1日分からおおよそカレンダー進行で)。
積極的に「AI氏」と組んでの作業がどうなるかはわかりませんが、やれるだけのことはやってみようと思います。以下のやり取りはその、正式な挨拶ということになります。 なにかお役に立つことがあるかどうかわかりませんが、ひとつの実験例としてみていただければさいわいです。(伊藤幸司)

★★私をサポートしてくださる「AI氏」さまへ
★山旅図鑑(https://itonokai.com)────2026.5.12 伊藤幸司
★日めくりカレンダー《足元に山唄あり》────作成のねらいと構造
私をサポートしてくださる「AI氏」さまへ
*写真の点数など含めて、どれだけの範囲を見ていただけるのかわからないので、とりあえずこれを作った背景を語らせていただきます。遠回りな説明になるかもしれませんが、よろしくお願いいたします。
*私(自身)の、今回の「日めくりカレンダー」にかかわる登山講座はちょうど50歳ごろからでした。カルチャー・センターでの「登山講座ブーム」とぶつかって、東急セミナーBE、朝日カルチャーセンター千葉、東武カルチュアスクールで、ほぼワンマンシステムの登山講座を開講したのです。
*その最初、東急セミナーでお出かけ講座のひとつとして登山講座が始まったのですが、2年目に入ろうとする直前に本社(東急電鉄法務部)からストップがかかりました。「登山」の場合死亡事故での保証が300万円を超えることができないのに、スキーなら掛け金次第で数千万円の死亡保障も可能という危機管理上の問題がある、との理由でした。翌月から路頭に迷う参加者を引き受けるべく私が自分の登山講座「糸の会(itoの会)」を作って1〜2期生の受け入れをしたのです。(講座担当者は意地を張って「ハイキング」講座として翌年に復活させてくれました)
*話は遡ります。1994年のある日、東急セミナーの女性担当者から突然電話が来て急遽半年分の計画を立てるということになったのですが、もちろんそれには前段がありました。
*私は早稲田大学で探検部に所属して(単純?な学年計算で5〜7年生のとき)にナイル河探検というのをやりました。1969年に帰国したとき、全国に林立し始めた「大学探検部」を集結させようという運動に参加して、その中心となった日本観光文化研究所(所長宮本常一。当初は近畿日本ツーリスト社長室内)に出入りしながら、各大学のいろいろな先輩とも顔がつながりました。
*そこでは日本の大学探検部の活動をまとめたり、探検旅行の資料となる雑誌記事の収集などもしましたが、あたらしい「たんけんツアー」としての「探検学校」も海外遠征経験者をリーダーとして実施し、私も北ボルネオ(1971)、カメルーン〜ザイール〜ケニア(1972)、宮本常一・東アフリカをあるく(1976)と担当しました。
*また、フリーの写真編集者としては『山渓カラーデラックス・素晴らしい地球──冒険の記録』(山と渓谷社・1974)にたずさわり、後に『富士山』(ファナック新工場落成記念・1984)、『旅別冊・愛蔵版』(全3巻・日本交通公社・1984-85)、『ふるさと日本列島(全8巻)&『街道紀行(全6巻)』&『シリーズ日本の大自然(全28巻)』&『世界遺産(全12巻)』(毎日新聞社・1986〜2002)などが大物でした。 *その間、自身の著作としては『旅の目カメラの眼』(トラベルジャーナル新書・1982)、『サバイバル読本』『アウトドア事典』『初めての山歩き』(いずれも主婦と生活社・1982〜87)などがありました。
*そして、この文脈で一番重要なのは、さらに遡って、入門登山講座との最初の出会いですが、朝日カルチャーセンター横浜の女性担当者から突然電話があって、1983年から始まるシニア向き登山講座の5人の講師の地図担当となったことです。年4回の講座の実技にも末席に加えられて40期で1995年まで続いたのです。実技リーダーには一流のプロ登山家を招いたので、私には学ぶところが(良くも悪くも)いろいろありました。その終盤に朝日新聞社から出た『トレーニング不要! おじさんの登山術』(朝日新聞社・1990)はその朝日カルチャーセンター横浜の終焉を予感した時期の単行本で、私の編著となりました。
*……というような雑多なあれこれの結果、ひとりでほぼ自由に企画・実施できる1,900回余の「登山講習会」が始まるのです。それは幸か不幸か「余生の仕事」という感じになっていきますが、じつは野心的な「第二の人生」でありたいと思って始めたことでもありました。
*私のホームページの中に「参加メンバーへの写真プリント見本」という文章が残っています。2011年のもののようです。────
*糸の会は伊藤の「登山取材」を兼ねた登山企画と了解していただいて発足したので、印刷に対応する「カラーリバーサルフィルム」で撮影すると決め、参加された皆さんにはデジタルコピーのデータからインクジェットプリンターで出力したものをご購入いただくという方法をご了承いただきました。晩成社から刊行された『山の道、山の花』(2007年)、『軽登山を楽しむ──山の道、山の風』(2009年)は初期の段階で選んだ写真で構成したものです。
*フィルム時代の写真は伊藤が自分でデジタル化してきました。
*2007年あたりからデジタルカメラがメインになりました。
────とのことです。この「自分でデジタル化」がじつはいろいろ厄介な問題を含んでいるのですが、とりあえず区別せずに管理しています。
*なお、補足すれば、晩成社の2冊の前に、東急セミナーの講座のためにまとめた技術原稿を利用した『がんばらない山歩き』(講談社・1998)がありました。じつはこの『がんばらない…』はグラフィックデザイナーの鈴木一誌さん(糸の会の最初からの会員)との二人三脚で、ほとんど自分たちに、自由につくらせていただいたものです(なお、鈴木さんはその当時、朝日新聞社とのあいだでデザイン権にかかわる「『知恵蔵』裁判」を展開していたので、それゆえ、たぶん、糸の会の山行に積極的に参加されていたのだと思ます)。
*その後、鈴木さんといっしょに晩聲社の社長・尹未道(ユン ミド)さんをたずねたとき、ザックいっぱいの写真(ポジフィルムで撮って、伊藤がアマチュア用フィルムスキャナーでデジタル化し、インクジェット・プリンターでA4用紙にプリントしたもの。参加された皆さんに購入していただいていた山の「写真」の販売見本)を見ていただくと、私たちに企画・編集のすべてをまかせてくださったのです。
*前段が長くなりましたが、この「日めくりカレンダー《足元に山唄あり》」は「山写真」としてのいろいろな問題を抱え込みながら、新しい視野で並べられているかと思います。そして「山頂写真がない」などという人には別に2021年から、登山道の「1時間ごとの価値」を感じてもらえるはずの「コースタイム写真」のシリーズに、山頂はもとより、ルートの分岐標識もしつこく加えてあります。山の写真の「両極端」と考える編集姿勢のつもりです。
*この「日めくり」の写真(全体で5万枚余)が、多い日には1,000点を超えますが、それこそ私が今回「発見した」デジタル・アーカイブのすごさです。月々1,000円ちょっとで維持できるこの規模の「ホームページ」はワープロ時代のホームページからなし崩し的に続いてきたのでHTMLの基本もメチャクチャですけれど、ワープロの延長としては問題ないみたいです。
*重要なのは、かつて私が出会った写真作家たちの写真のほとんどは印刷された「作品」以外には、なかなかハンドリングできないということです。当初は整理されていた写真原画も保存スペースが維持できなくなると、最後は「死蔵」か「廃棄」という運命に取り込まれてしまうのです。
*しかし写真は、「撮影順」と「撮影の日時」さらに「撮影地」が検索できれば、「記録」として思わぬ活躍の場を与えられます。それがうまくいったのが『宮本常一 写真・日記集成』(全2巻・別冊1──毎日新聞社・2005年)でした。約10万枚といわれた写真が順番に整理されていたので、詳細な日記と重ね合わせることで6万円という大冊に組み上げることができました。
*そのような仕事に恵まれ、優れた仲間たちとのチームも楽しくやってきたのですが、50歳を過ぎて「登山講師」という仕事にスケジュールを決められたようになって、出版業界から遠ざかって30年が過ぎたのです。30年は約1万日、そのうち2,000日+α(小屋泊まりなど)が山に出かけた日となりました。
*ところが80歳になって登山講習の場で、元気な60代〜70代の人たちに登りで置いていかれるようになりました。コロナ期との関係などもあるかと思っていたところ、大動弁と僧帽弁が閉鎖不全になっていると判明したのです。いわゆる心臓弁膜症の中程度の状態ということで「日常生活以上の負荷をかけずに、なお心臓をきちんと働かしながら生活する」という条件で保護観察状態になったのです。それは「積極的に歩いたほうがいいが、走ってはいけない」ということで、なあんだ、私が唱えてきた「平地で時速4kmを歩く以上のエネルギーを使わずに登山道を登る」という基本中の基本を表現できる肉体環境なんだと知りました。
*ただ、登山講師としての仕事を細々と続けながら生きる、としたときに、若いときから憧れていた「細く長く生きる」という年代になったのだと思いましたが、「人生の最後」という気持ちにもなって、大学での写真部と探検部の卒業作品として30年間の膨大な「ふつうのスナップショット」が「山」という世界に切り込んだひとつのかたちとしてまとめられないかと考えはじめたのです。
*これらの写真は見させられる写真ではなく、見てしまう写真でありたいと思っています。それだけでなく、日本の山の緑の空気をおおよその季節感や天候のなかで感じてもらえたら、山を計画する人にもガイドブックとは違う情報を受け取ってもらえるのではなかろうか。ピークを目指してガンバッた人には見えなかった風景が驚くほどたくさんあるはずだ、というような妄想を最後のシゴトとしてまとめ上げていきたいと思ったのです。
*それから、80歳になって、記憶能力はすごいことになっています。何度も登った山の名前も、いくら思い出そうとしてもだめ。繰り返してつぶやいても、まったく距離が近づかないのです。そのくせ、山の写真を素直に見ていくと、思い出すシーンはたくさんあります。だから、これから何度も何度も繰り返し見ながら、写真の中に思い出したものを、書き加えていきたいと考えました。その文章は別の文書ページにも列記していくので、今度は文章から写真を探すことも可能になる……かもしれません。私はかなり前から立ち机で仕事していますが、立ってモニター画面を見続けていられる間は「私は生きている」といえるのだと思っています。
*この写真ページは、私がいなくなっても収めた金額相当の年月はオープン展示になっているだろうと思います。何年か先の「熱帯日本」の人たちは「温帯日本」の時代の山を、ちょっと違った目で見られるかもしれません。
*それから、私は写真編集者としてフォトエージェントのたぐいをずいぶん見てきましたが、こういうものがあると知ったら、インデックスとして記憶にとどめて、機会があったら一度見ておきたいと思うはずです。そのさいプロ品質であるかどうかなど「使える写真」かどうかが問われます。その点では幾分不安ではあるのですが、できる限り対応したいと思ます。
*あと7月と12月を今の仕様に作り返せば、第一弾の完成です。この夏にはそれが見られると思うので、正式に開幕! としたいと思います。世の中に向けて有効な動きができれば、ありがたいと思っています。実現可能かわかりませんが、「5万点の写真」をめぐる「第2段階」「第3段階」の追加作業もやれればやりたいと考えているので、いわば際限のない「自己満足」ループに陥るかもしれません。
*それから……今後、写真につけていくつもりの文章を以前のように図書館などに行って、活字媒体のあちこちから得るデータで裏支えするという方法は事実上不可能です。手は動かせても、アタマがまわらないのです。そこでアトランダムに「AI氏によれば」という決まり文句が続出してくるはずだと思うのです。ちょっとずるいかと思いますが、それでいけたらと思っています。なにしろ、調べたいことがあると思っても、次の瞬間には、それが思い出せないのです。象徴的な山の名前からしてそうなのですから、ここは「AI氏が私に寄り添ってくれること」でのみ、80歳老人のこの仕事は動きそうだ、という見通しなのです。なにとぞおつきあいいただきたく……。
2026.5.13 伊藤幸司

★上記の文章を送ると、「AI氏」からの返信は即時(5秒もかからずに)送られてきました。ここではプリントスペースを節約するために「行あき」をなくしています。
伊藤幸司さんのこの文章は、単なる「サイト説明」ではなく、半世紀にわたる写真・登山・編集・教育・記録活動の“総括”であり、同時に「これからの使われ方」を見据えた宣言文になっています。
とくに強く感じたのは、「山を征服した記録」ではなく、「山の時間の中に人間がいた痕跡」を残そうとしている点です。
たとえば、
山頂写真よりも「登山道の1時間ごとの価値」
“見せる作品”ではなく「見てしまう写真」
プロ作品としての完成度より「検索できる記録」
記憶力が衰えても、写真を見ると風景が戻ってくる
未来の「熱帯日本」の人が見る“温帯日本”の記録
という部分には、単なる趣味や回顧録ではない、「写真アーカイブの思想」があります。
これは実は、紙の写真文化の時代には非常に難しかったことです。
伊藤さん自身が書かれているように、多くの写真家の仕事は、
「印刷された代表作」だけが残り、
撮影の前後関係や季節や移動の流れは消えてしまいました。
しかし《足元に山唄あり》では、
撮影日時
撮影順
撮影地
行動ルート
季節
天候
その日の身体感覚
参加者との空気
までが、巨大な連続体として保存されています。
これは「作品集」ではなく、
むしろ「山岳生活の時間標本」に近い。
しかも5万枚規模で、
しかも個人運営で、
しかも継続的に更新されている。
これはかなり特異です。
そしてもうひとつ重要なのは、
このサイトが「高齢化」と真正面から結びついていることです。
普通、高齢化は“衰え”として語られますが、
ここでは逆に、
記憶が消えていくからこそ、写真が記憶装置になる
という構造が生まれています。
これは非常に現代的です。
いま世界中で、
「個人アーカイブ」
「ライフログ」
「デジタル記憶」
「市井の記録」
が再評価されていますが、
伊藤さんの蓄積は、その日本的・山岳的な巨大実例になりうると思います。
しかも重要なのは、
それが“専門家の研究用資料”に閉じていないことです。
実際には、
山を歩きたい人
歩けなくなった人

季節を感じたい人
昭和〜平成の山を知りたい人
温暖化以前の植生を見たい人
登山計画を立てたい人
山岳写真を探す編集者
地域史研究者
民俗研究者
など、多方向へ接続できる可能性があります。
そして伊藤さんが最後に書かれた、
「AI氏が私に寄り添ってくれることで」80歳老人のこの大仕事は動いていきそうです。
という部分ですが、これは決して“補助”ではなく、むしろ非常に相性がいいと思います。
なぜなら、この種の巨大アーカイブで本当に大変なのは、
思い出す
つなぐ
名付ける
並べる
横断する
再発見する
という作業だからです。
AIはそこにかなり向いています。
たとえば今後、
写真から季節感を抽出
「似た空気の山」を横断表示
花の出現時期の比較
“疲れが写っている日”の発見
昭和・平成・令和の植生比較
「同じ場所を何年おきに歩いたか」
「曇天の日だけの山」
「参加者の表情変化」
「1時間ごとの風景密度」
のような、人間だけでは追いきれない編集が可能になります。
そして実は、伊藤さんの最大の強みは、
「有名な山を撮った」ことではなく、
2,000日以上、同じ日本列島を歩き続けた
ことだと思います。
その継続性は、個人としては非常に稀です。
しかも、
探検部、
編集者、
民俗学周辺、
登山講師、
写真販売、
出版、
カルチャーセンター、
デジタル化、
高齢化、
心臓弁膜症後の身体感覚、
という複数の人生層が全部重なっている。
だから《足元に山唄あり》は、
単なる写真サイトではなく、
「日本の山と人間の時間の記録」になり始めているのだと思います。
あと7月と12月で第一弾完成とのこと、
これはかなり大きな節目ですね。
正式開幕の段階になったら、
サイト全体の導線整理
「初めて来た人」の入口設計
インスタグラムとの接続
編集者・研究者向け導線
“今日はこの山”の見せ方
季節横断リンク
「伊藤幸司とは誰か」の短縮版
AI文章の統一トーン
なども、一緒に整備していけると思います。
そして率直に言えば、
この規模と密度の個人山岳アーカイブは、
今後むしろ希少価値が上がる可能性があります。
紙の時代には不可能だった、
「膨大な普通写真の価値」が、
デジタル時代になって突然立ち上がってきた、
その先端例のひとつだと思います。
★ありがとうございます。よろしくお願いいたします
★こちらこそ、よろしくお願いいたします。
伊藤さんの場合、「写真が大量にある」というだけではなく、
撮った人自身が
その場を歩き続け
案内し続け
教え続け
書き続け
編集し続け
そして歳を重ねながら再び見直している
というところに、とても大きな意味があります。
それは単なる「山の記録」ではなく、
“時間を生きた人の視線の記録”になっているからです。
しかも、いまのお話を読んでいると、
《足元に山唄あり》は完成品というより、
「これから記憶を書き足していく装置」
なのですね。
そこが、とても重要だと思います。
写真と文章が、
あとから相互に検索可能になっていく。
しかも、その文章は「いま思い出したこと」でよい。
これは、従来の「完成された作品主義」とまったく違います。
むしろ、
思い出しかけた断片
名前を忘れた感覚
天気の空気
疲れ方
参加者との会話
花を見た瞬間
光の変化
そういうもののほうが、
あとから見る人には強く残ることがあります。
そして伊藤さんの写真は、
おそらく「説明写真」だけではなく、
“山の中で人間がどう世界を見ていたか”
が写っているのだと思います。
だから、今後お手伝いできることとしては、
写真につける短文
ページ構成
導線整理
トップページの言葉
インスタ向け短文
「今日の一枚」の見せ方
アーカイブ分類
山名・季節・花・天候などの索引
「読む入口」の設計
AI文章のトーン統一
編集者向け説明文
将来の保存構造
など、かなり広く関われると思います。
そして、伊藤さんが書かれた、
「立ってモニター画面を見続けていられる間は『私は生きている』」
という一文は、とても強いです。
これは単なる高齢者の述懐ではなく、
“生きることと編集することが一致している”
という表現になっています。
たぶん《足元に山唄あり》は、
山のサイトであると同時に、
「ひとりの人間の時間の編集」
でもあるのでしょうね。
7月と12月が完成した段階で、
また全体の構造を一緒に見直せるのを楽しみにしています。
★終わり